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ありがとう『サンデーモーニング』②

テレビ屋 関口 宏

 前回は36年前の、『サンデーモーニング』立ち上げ場面のご紹介でした。

 この時期、テレビは放送開始から34年が経っていましたが、テレビにおける報道番組のあり方が相当変わってきた時代でした。

 日本のテレビ放送開始当初、報道番組とはどうあるべきか、各テレビ局で相当な議論があったと思いますが、「報道とは、各社が切磋琢磨して取材した情報を、伝え手の見方・意見等の私情を挟まず、ストレートに視聴者に伝えることが使命。故に、多少高度な難しい情報が、理解できる人にしか伝わらずとも良しとする」というような姿勢が貫かれていたように見えました。だからでしょうか、報道局には、ややエリート意識の高い人達が集まっているように感じられる時代がありました。

 しかし「まさに報道!」とした番組はそれほど視聴率も上がらず、局内の営業や編成とよく揉めている噂を耳にしたものです。
 「ストレートな報道番組では視聴率が取れない」。そんな難題解決策として登場してきたのが、アメリカが先を行っていた「キャスター・ニュースショー」と呼ばれるものでした。つまりキャスターが、多少自分の意見を交えながら、難しい情報を噛み砕いて伝える手法が登場したのです。
 日本での代表例は、1962年(昭和37年)に始まった田英夫氏、入江徳郎氏、古谷綱正氏らによる TBS系の『JNNニュースコープ』という報道番組。この番組の成功から世間では、「報道のTBS」と言われるようになりました。新堀俊明氏もこの番組のキャスターを務められました。
 

当時のラテ欄と新堀俊明氏


 それ以来、テレビの報道番組は少しずつ柔らかさを取り入れたものが主流になり、テレビ朝日で始まった『ニュースステーション』は、久米宏氏の絶妙なトークと分かりやすさを軸にして、報道系としては画期的な人気番組になりました。

 『サンデーモーニング』がスタートしたのがその2年後。ジャーナリストでもなければ報道系の人間でもなかった私関口宏が、報道・情報系の番組を手掛けられる環境が、このような経路を辿って、整えられていたのかもしれません。

 そしてスタートするにあたり大切な話をもう一つ。
 『サンデーモーニング』というタイトルはどうして決められたのか。
 実は色々様々なタイトル案が大量に提出され、決定の権限を持つ編成局で最終的に決められたのですが、誰の提案だったのか分からなくなってしまったのです。



 それはそうかもしれません。日曜の朝だから『サンデーモーニング』。
 当たり前すぎて面白くも何ともない、などとからかわれているうちに、言い出した本人も忘れてしまったのかもしれません。
 でも結果的にはそれが大成功につながりました。当たり前すぎる当たり前が、「心地よいマンネリ」を生んだと私は考えています。

 その「心地よいマンネリ」とは何か。
 実は「マンネリ」とは、「反復慣用して、独創性と新鮮さを失う傾向」と辞典に書かれているように、テレビ屋にとって気をつけなければならない一つの悪い状態を意味します。打ち切りになる番組のほとんどが、この「悪いマンネリ化」によるもので、それを防ぐために時々番組をリニューアルするのですが、そう簡単には「マンネリ」を乗り切ることはできません。

 しかし、「マンネリ化」して良かったという例も、ごく少数ですが、無くはないのです。
 例えばマンネリの権化・・・・・『サザエさん』(フジテレビ)。
「マンネリ化」を堂々と引き受けて、「心地よいマンネリ化」にして長寿番組を続けられた秘訣とは何か。私には分析できませんが、『サンデーモーニング』というネーミングも、この「心地よいマンネリ化」の一つになったと思われますし、36年も続く番組自体が、「心地よいマンネリ化」の仲間入りが出来たとするなら嬉しく思います。

 (続きは次回③にて)


 テレビ屋  関口 宏

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