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母の涙、息子・昴くんの最後の言葉と共に 9/9

  松尾 英里子 / 白鳥 美子

現役時代、陸上界でどんどん名を上げ多くの注目を集める瀬古さんを、母親は喜びつつも寂しがった。
「お前が強くなるのは嬉しいけど、自分たちだけの息子じゃなくなって遠くに行ってしまうようで寂しい」
電話口で泣きながら語る母の言葉に、瀬古さんの胸はぎゅっとつかまれた。
「もっと強くならなきゃいけないんだ」という決意と、「だけど、そうなればなるほどお袋が寂しがってしまう」という感傷。その両方の相反する思いを瀬古さんは抱え続けた。
「大学時代、インカレの前になるとお袋が上京してくる。ご飯を作ってくれて、夜は同じ部屋で寝たいと言うのでふとんを並べて眠りました」
だが、瀬古さんの母親は、実はいびきがうるさかった。
「次の日が試合だから睡眠が大事なのに、いびきがうるさくて眠れない。だけど、お袋、うるさいよなんて、なかなか言えなくて」 それでも、さすがに耐えきれずに、「ごめん、頭だけ押し入れに突っ込んで寝てくれって頼んだりしました」。(笑)
翌日、母親は、いびき防止のスプレーを薬局で購入してきた。
「一本まるごと使っちゃって。(笑)かわいそうに・・・。迷惑かけたくないけど一緒の部屋で寝たい。それが分かっているから、ホテルに行ってくれとは私も言えない。睡眠不足になっても、一緒にいてやりたいと思うんだよね、お袋が大好きだったから」
そんな優しくてあたたかい、細やかな親子の情は、連綿と受け継がれていく。
瀬古さんは、長男の昴君を2021年に悪性リンパ腫で亡くしている。
「闘病が長かったので、応援してやりたくて。私らしく明るく笑わせようと努めました」
そんな父親に対して「お父さんは脳みそが筋肉だ」なんて口を叩く昴君に、「そうだよ、お父さんの脳みそは筋肉で、足に入っているんだ。足で考えているんだ」と返して笑わせたこともあった。
亡くなる五日前、携帯電話に着信があった。すぐに出られなくて、5分後にかけ直すと、こう言われた。
「なんで僕の電話に出ないんだ。だからお父さんは僕からダメだって言われるんだ。ねぇ、お父さん。僕、明日から声が出なくなるから、最後に言うね。僕、お父さんのこと大好きだからね」
***
「人が笑っているのを見ると嬉しくなるんだ」と、瀬古さん。だから、いつでも笑わせることを考えているのだという。
「嘘でもいいから、笑って欲しい」――数々の苦しみに出合い、涙が涸れるまで泣いた日々を乗り越えてきた瀬古さんは、そう言って、また大声で笑った。


お義母様と瀬古さん家族©岡部文


●瀬古利彦さん プロフィール
1956年、三重県生まれ。
高校時代から本格的に陸上を始め、インターハイでは800m・1500mで二年連続二冠を達成。
早稲田大学へ進み、故中村清監督の元、ランナーとしての才能を開花。
箱根駅伝では4年連続で「花の2区」を走り、3、4年次では区間新(当時)を獲得するなど、スーパーエースとして活躍した。
トラック・駅伝のみならず大学時代からマラソンで活躍し、国内外のマラソンで戦績15戦10勝。圧倒的な強さを誇る。
現役引退後は指導者の道に進み、オリンピック選手を3名輩出するなど後進の育成に注力。
2016年より日本陸連マラソンリーダーとしてマラソングランドチャンピオンシップ(MGC~五輪日本代表選考会)設立に奔走。2019年のMGCを成功に導いた。
現在、DeNAアスレティックスエリートアドバイザーを務める傍ら、日本陸連マラソンリーダーとして2024年のパリ五輪に向けて日本マラソンの強化活動を行っている。




(左)瀬古利彦さん(中央)松尾英里子(左)白鳥美子

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