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「Hello!」が通じた!
英語でのコミュニケーションに感動 2/10

  松尾 英里子 / 白鳥 美子

 北野さんには、英語の先生を目指していた時期がある。そのきっかけは、中学生の頃の富士登山。近くにアメリカ軍の演習場があり、アメリカ人ファミリーもたくさん登りに来ていた。「Hello!」と声をかけてみたら、英語で返事が返ってきた。
 「日本人の先生から教わった“日本人の”英語が、ちゃんと通じる!」
 このときの驚きと嬉しさ。英語の先生ってすごいな、と、素直に感動した。自分も英語を教える人になりたいと、北野少年は心に決めたという。
 そこから、英語の「自主練」が始まった。
 当時はネイティブの英語に触れる機会は、せいぜいFEN(Far East Network=現在はAFN)と洋画くらい。生の英会話を求めて、北野少年は帝国ホテルのロビーに出かけて行った。
 「暇そうなお年寄りを探して、“Are you free? ”なんて話しかけました」――と言った後に、「これって今思えば正しくないよね。『あなたはタダですか』って尋ねていることになる…」と大笑い。それでも、日本の高校生が英語で話しかけてくれたと喜ぶアメリカ人たちが話し相手になってくれた。アメリカに住む姪をペンパル(文通の相手)として紹介してくれる人もいた。
 また、当時、江戸川区の小松川図書館では、日本の紹介を英語でカセットテープに吹き込んでアメリカとやり取りするような取り組みを行っていた。それにも参加した。
 「昭和33年、東京タワーができた年でした。『エッフェル塔(Eifell Tower)と同じようなものだ』と説明する際に『Eifell』を『エッフェル』と読んだら、英語では『アイフェル』と発音すると教えてもらった。今でも忘れられませんね」
 それほどの「自主練」のおかげもあり、北野さんは見事、ある国立大学の英文学科に合格。だが、「学問こそが貧乏を抜け出す唯一の道」だと信じる母は、息子たちに、工学部で学び技術者になるよう強く薦めた。母の想いを受け止めた北野さんは、英語教師の道を諦めて明治大学工学部に進んだ。



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