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50年経った今も夢でうなされる
過酷な研究生活 6/10

  松尾 英里子 / 白鳥 美子

 「毎月100万円あげると言われても、もう二度と博士課程はやりたくない」と今でもつい声に力が入ってしまうほど、大学院での研究生活は辛かった。5年間で学位に相当する論文を書かなければならないというのは、相当なプレッシャーだった。学位が取れないと研究者として失格、就職もできないと考えていましたので。応援してくれている家族にも顔向けができない。
 「噓みたいな話だけど、今でも疲れたときに夢を見てうなされます」
 まだ論文が書けていない、どうしよう、弱ったな…と、50年以上経った今でも当時のしんどさが蘇るのだという。
 だが、プレッシャーに打ち克ち、最大限の努力を重ね、北野さんは5年後、東京都立大学大学院博士課程を修了し、博士号を授与された。
 家に帰ると、尾頭付きの鯛がちゃぶ台の上にドーンと置かれていた。そして、父・菊次郎さんが嬉しそうに表札を掲げた。
「工学博士 北野大」――貧乏暮らしを笑われて悔しい思いをしたことも多かった両親の、そのときの満面の笑みは今も忘れられない。
 大学院時代、研究に疲れて遅くに帰ってくる北野さんに温かいご飯を食べさせようと、丼に入れたご飯を新聞紙にくるみ、さらに風呂敷で包んでこたつの中で保温してくれていたという母・さきさん。
 「あの温もりは、ほんとうにありがたかった」





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