記事応募にはログインが必要です

パスワードを忘れた方はこちら

秋田生まれ、9人兄弟姉妹の末っ子 1/7

  松尾 英里子 / 白鳥 美子

 つい最近、9つ年上の姉から自分が生まれた日の思い出を聞いたという。
「姉が小学校から帰ってきたら、もう生まれそうだから近所の“石田のおばさん”を呼んでくるように言われて、慣れない細い路地の奥の道を迷いそうになりながら走って呼んできてくれたそうです」
 70年以上前の誕生の日の記憶がお姉さんの心に残っているのは、そしてそのことを今伝えたくなったのは、きっと、正子さんの生き様を姉として誇らしく感じておられるからだろう。
「私と二つ上の姉は、上の兄や姉に育ててもらった感じですね」
 幼い頃のあだ名は「ちびちゃん」。木登りが得意なお転婆な子どもだった。自分用の自転車は買ってもらえなかったので、近所の友達が住んでいた国鉄(当時)の官舎から大人用自転車を借り出してきて、サドルに腰掛けるとペダルに足が届かないので『三角乗り』を練習した。「うまくなるまでに何度転んだか…。いつも膝小僧が擦り傷だらけでした」
 明治28年生まれの父は寡黙で厳格。普段は子どもたちを相手にすることは少ない。勉強をするために東京で暮らした時期があり、その時以来、大の映画好きだった。
「田舎では男一人が映画を見に行くのは目立つから、まだ小さかった私や姉を“だし”にして、よく連れて行ってもらいました」。特に子ども向けの映画というわけではなく、灯台守の映画(『喜びも悲しみも行く歳月』/1957年公開)を見た記憶があるという。
映画の後にはデパート巡り。やはり東京で覚えた味だというホットケーキを食堂で注文してくれた。
「バターが乗っかった、あったかいホットケーキ!」と、懐かしそうに思い出す秋山さんの顔がほころぶ。お父さんはナイフの持ち方や切り方を、手を添えて教えてくれた。



コメント投稿にはログインが必要です

パスワードを忘れた方はこちら

こちらのコメントを通報しますか?

通報しました