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父の看取り 母は一切弱音を吐かなかった 2/7

  松尾 英里子 / 白鳥 美子

「母は、父より15歳年下。二人とも最初の結婚での伴侶を結核で亡くしての再婚でした」
 最初の夫が、看病する間もなく、喀血や呼吸困難で苦しみながらあっという間に亡くなったことに悔いが残っていたのか、隣近所や親戚に病気の人が出ると積極的に看病を買って出る人だった。
「父が胃がんを患った時、母は医者から聞いて知っていましたが、本人には言わないでおこうと決めて、最後まで秘密を守り通しました」
父の病名は末っ子である秋山さんにも知らされず、「だんだん弱っていく感じを見て、いつ元気になるんだろうって思っていました」。
さらに、認知症が父の行動を変えていく。無口で厳格だった人が、始終独り言をつぶやきながら家の中を歩き回るようになった。中学生の正子さんが、つい「何やってるの?」と責めてしまったとき、お母さんはひどく怒った。
トイレにひとりで行けなくて、失敗することも増えた。当時は大人用おむつはなかったので、ビニールと厚手の布を組み合わせるなどして工夫していたという。
「子どもたちが学校に行っている間に洗濯をして乾かしていたようで、部屋の中で嫌なにおいを感じたことは一度もありませんでした」
子どもに余計な心配をかけたくないというよりは、変わっていく父親を見て蔑んだりすることのないようにという気持ちだったのだろう。
 ある日曜日、いつになく陽気に鼻歌交じりに歌いながら、お父さんが蒲団の上に座ってひげを剃っていた。「箱根の山は、天下の嶮~」
箱根は、秋山さんの4番目の兄(辻新次:第35回大会、第36大会に出場。ともに6区を走った)が東京教育大学(現在の筑波大学)の代表として箱根駅伝を走った、家族にとって誇らしい思い出の場所。
「あら、今日はお父さん調子がよさそうね」――そう思っていたら、翌日の夕方、息を引き取った。享年71だった。




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