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亡くなった日のこと 7月4日月曜日 3/7

  松尾 英里子 / 白鳥 美子

 その日の朝、「今日は早く帰ってきなさい」とお母さんから言われた。素直に帰ってきた正子さんに「しばらく魚は食べられないから、食べておきなさい」と、妙なことを言う母。家を離れていた兄たちも、夕飯の席に間に合うように次々と集まってきた。「なんなんだろう?」と不思議に思いつつも、まさか、前日に鼻歌を歌っていた父親が亡くなるとは思いもしなかった。
「結局、早目の夕食を食べて、みんなが集まった中で父は息を引き取りました」
がんであることを知っていた年長の兄たちは、覚悟はしていただろうが、いざ死に目に遭った時には男泣きに泣いた。だけど、正子さんと2つ上のお姉さんだけは、人の死というものがよくわからなくて、泣きもせずにキョトンとしていたという。
「しばらく魚が食べられない」というのは、曹洞宗では仏事が続く間は魚を食べることを控えるものだったからで、「母は、その日は朝から、父を見送る段取りをしていたようです」
 後に、お母さんは「自分が特別なわけではない」と言っていたという。
「昔の人は、親しい人が死にそうなときには、『もうそろそろだな』というのがみんなわかっていた。だから、段取りを組んで、近所の人たちも動き出す。家族には『無理するなよ』と声をかけながら、いざという時のために周りが動く。そういうのが当たり前だったそうです」
 家庭で看取っていた時代には、医者よりも正確に「いつ旅立つか」が、家族にはわかった。その後、病院で亡くなる時代になって、機器で身体の状態をチェックするようになり、私たちはその頃の感覚を失ってしまったのかもしれない。




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