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看護師を目指して上京 聖路加看護大学(現・聖路加国際大学)へ 4/7

  松尾 英里子 / 白鳥 美子

四十九日を終えたとき、「実はね…」と、母から父が胃がんであったことを聞かされた。半年の余命と言われていたのに、一年半世話ができた上に、穏やかな死だったので「悔いはない」という母。だが、正子さんには「自分は何もできなかった」という後悔が小さなわだかまりとして残った。
「人は死んだらどこに行くんだろう。いなくなったけれど、お父さんはどこかで見ててくれるのかな」
 二学期が始まり、友達とプール掃除をしていた時に、看護師になろうと思っていると「告げたらしいんです」と、秋山さん。「らしい」というのは、実はその時のことを覚えていないんだと、笑う。だが、友達がしっかりと覚えていて、進路を決める時期に「あの時、そう決心したよね」と背中を押してくれた。母は「自分のことは自分で考えなさい」と常日頃から言っているような人。このときも「自分で決めて、決めたことには自分で責任を持ちなさい」と送り出してくれた。
 聖路加看護大学入学後は、勉強や実習の傍ら、演劇部で活躍した。「高校生の時に、秋田県民ホールで見た生の舞台の面白さが忘れられなくて、ずっとお芝居に興味がありました」
当時、聖路加演劇部は劇団四季からコーチが来ることが決まっていて、活動が盛り上がっていたタイミングだった。「学生は女子ばっかりなので男性役もやりました。テネシー・ウィリアムズの『欲望という電車』ではネリー役をやって、その後、大学ではネリーというニックネームで呼ばれていたんですよ」(笑)
 卒業後は、京都の日本バプテスト病院に勤務。4年制大学出の看護師がまだまだ少ない頃で、珍しげに迎え入れられた。「みんなが、いったいどんなことをしているのかとそれとなく見に来るので、早くやることを覚えて、しっかり責任を果たさないと!という思いでした」


演劇部部長あいさつ 秋山さんは画面右端



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