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「子どもは保育園に育ててもらいました」 5/7

  松尾 英里子 / 白鳥 美子

 20代後半になって、看護の現場から看護教育の場に移ることになった。教員として最初に勤めたのは、小説『白い巨塔』の舞台のモデルとしても知られる大阪大学の医療技術短期大学〈今は学部〉。中之島にある古い病院で実習指導にあたった。大学付属病院は、これまで馴染んできた聖路加やバプテスト病院のように患者中心の医療というよりも、研究や教育が目的となる。教授回診では、いわゆる大名行列もあった。実習生の学生たちと現場で様々な経験を積めることはありがたかったが、どうしても文化の違いになじめなかった。4年間勤めた後、京都の古巣の病院の看護専門学校に移ることを決めた。
 京都では、北白川から始まり、山科、伏見、桂、西京区と移り住んだ。結婚して、息子が一人、娘が一人。実習指導が多かったので、帰りが遅くなることもある。病院の敷地のすぐ裏にある保育園にお世話になった。
「子どもたちは、保育園に育ててもらいました」
一年中、半そで半ズボン、裸足で小川など自然いっぱいの環境を駆け回り、たくましく育っていった。小川のカニを獲って、それを食べるかどうかを先生と子どもたちが話し合うようなこともあったという。
「話し合いの結果、食べることになって素揚げにして食べていました。食べることで命の循環を感じる。面白い保育園でしたね」
 子どもたちに対して、口うるさく何かを言い聞かせるようなことは「まったくなかったですね」という秋山さん。ただ、仕事のことが頭から離れなくてつい上の空の母親に向かって、子どもたちが「ねえねえ、ねえねえ」と甘えて話しかけてくるときには、いったんは仕事のことを脇に置くことを心がけていた。
「そっちに向かないと、この子たちに見えているものが見えない、と切り替えました。たとえば子どもは『お月さんが追いかけてくる』って言ったりするでしょう。そういうのも、子どもの目線になると見えてきます」



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