記事応募にはログインが必要です

パスワードを忘れた方はこちら

「いいときに、まなぐおとしなさいよ」 6/7

  松尾 英里子 / 白鳥 美子

 二つ上の仲良しの姉が、肝臓がんになった。神奈川に住む義理の兄から「余命は一か月らしい」と突然の電話をもらって驚いた。とるものもとりあえず、その診断をした医師に京都から話を聞きに行ったところ、CTの画像を見せられた。断層、つまり輪切りにされた画像には最初から最後まで腫瘍が写っていた。「本当に、これは、手術も無理、肝機能も落ちていて抗がん剤も無理だ」と残念ながら受け入れるしかなかった。
 病院に入っていても、点滴を受けて、あとは寝ているだけ。子どものことも気になるだろうと、家に連れて帰りたいと申し出た。その後、4か月半、姉は自宅で過ごすことができた。
当時小学5年生だった姉の息子は、ベッドに寝ている母親に向かって無邪気に「行ってきます」と言って登校し、「ただいま」と帰宅後は、ベッドのそばでゲームをしたり学校であったことをしきりに喋ったりしていた。鹿児島出身の義理の兄は、それまで家事を一切したことがなかったので、ほうれん草を茹でても、絞らずにびちょびちょのまま食卓に並べる。洗濯物は、伸ばさずに干す。「ちゃんと絞ってね」「ちゃんと伸ばしてから干してね」と、ベッドから姉の指示が飛んでいた。
あまりのがんの進行の速さに、姉には病名も余命も告げないことを決めた。それなのに、ある日、手伝いのために秋田から出てきた母が、姉の苦労話などを聞いていた時に、ふとこう言った。
「頭がはっきりしているうちに、言い残すことがあったら言いなさいよ」
 それを聞いて先が短いことを察したお姉さんが、「死ぬのが悔しい」とつぶやいていた姿は、今も忘れられない。
いよいよ最期が近いというときに、母親が体調を崩し、いったん秋田に戻ることになった。明日秋田に帰るという日、姉の耳元で、秋田弁でささやいた。
「いいときに、まなぐおとしなさいよ」
 秋田弁で「まなぐ」は「目」、つまり、「まなぐおとす」とは「目を閉じる」ということ。
「母は、死ぬことにもエネルギーがいることをわかっているので、『あなたが思うとおりに、旅立ちなさい』って言ったわけです。そう言い残して、母は秋田に帰っていきました」
 お姉さんは、その翌日、41年の命を閉じた。
「ある方が、『それは、先行く不幸の許可が出たからよ』と教えてくださって。何人もの人を世話して見送ってきた母だから言えた言葉だったと思います」
 姉の最後の日々の看取りをきっかけに、秋山さんは訪問看護の道を目指すことに決めた。


訪問看護に従事していた時


コメント投稿にはログインが必要です

パスワードを忘れた方はこちら

こちらのコメントを通報しますか?

通報しました