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結婚式の3週間前、中村監督の不慮の死 7/9

  松尾 英里子 / 白鳥 美子

失意のうちに終わったロス・オリンピックの後、「結婚したくなった」瀬古さんは“婚活”を始めた。ずっと練習漬けの日々で、恋愛経験なし。出会う機会も時間もないからと、中村監督が「自薦・他薦OK」の花嫁募集を呼びかけた。
その後一週間で、届いた手紙は約1000通。開封して読んでみたが、10通くらいで疲れて音を上げた。
「やっぱり手紙では人柄がわからないので…、結局、かみさんとは別の人の紹介で出会いました」
ロス・オリンピックの時には、「みんなが瀬古選手ばかり応援するから、私は宗兄弟(宗茂・宗猛)を応援した」という奥様は、当時、幼稚園の先生。子ども好きなところが、決め手だったという。
「私も子どもが好きだから。この人なら、いい嫁さんになるなって思ったんだ」
ちなみに、全国から受け取った「自薦・他薦」の手紙に対しては、感謝の気持ちを込めて、当時所属していたエスビー食品のカレーを御礼状と共に全員に送った。
結婚が決まると、奥様(当時は婚約者)は週に3回ほど中村監督の自宅でレクチャーを受けた。「陸上選手の妻とはこういうものだよ」「瀬古ってこんな奴だからね」と、中村監督の話は毎回とても面白くて「楽しくて仕方なかった」という。だが、結婚式まであと3週間というタイミングで、中村監督は不慮の死を迎える。趣味の釣りに出かけた先での事故死だった。
2年後のソウルオリンピック出場を、共に目指す途中だった。
「かなりのショックでしたが、かみさんにすごく熱心にいろんなことを教え込んでいたから、後は任せた、と監督が言っているような気がしました」
また、瀬古さん自身も「ここからは独り立ちしなさい」ということだと受け止めた。それが、中村監督からの最後の教えなんだ、と。


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