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「二人は一人に勝る」 5/9

  松尾 英里子 / 白鳥 美子

中村監督の指導は、「心」が主だった。
「毎週、日曜日は二人で教会に通いました」
ある日、聖書を開いて監督がこう言った。
「瀬古、なんでお前と俺が一緒にいて強いのか、ここに書いてあるだろう」
そのページには、「二人は一人に勝る」と書かれていた。一人きりだったら、誰にも助けてもらえない。だが、二人だったら、支え合える。
また、別の日にはこんなことを言う。
「一年目に早稲田に落ちたお前は偉い」
なぜなら、聖書には「狭き門より入れ」と書かれている。楽に入れる大学ではなく早稲田という“狭き門”を入ろうとしたのは偉かった。落っこちて、そのせいでアメリカで苦労したのも狭き門だ。きっとこの先は幸せにつながる。
中村監督は、クリスチャンではない。聖書を重んじたのは、いいことが書いてあるからというシンプルな理由だった。だから、ある時には、座禅をしながら、若くして一人で修行している永平寺の修行僧に思いを馳せろ、と言われたこともある。19歳の瀬古さんの心に、監督の言葉は砂漠で出合ったオアシスの水のように、ぐんぐん浸み込んでいった。



「一年間の遠回りがあったから、素直になれたんだと思います」
ストレートで合格して、すぐに早稲田に入学できていたら、調子に乗って生意気になっていたと思う、と瀬古さんは自らを振り返る。「何しろ、それまでは負けたことがなかったので。あのままだったら、イヤなヤツになっていたかもしれません」
もう一つ、忘れられない言葉がある。
「俺は厳しいことを言うのは、朽ちない冠をお前たちに与えているからなんだ」
中村監督は、新約聖書のコリントの信徒への手紙に出てくる“わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制するのです”という一節を紹介しながら、そう語った。
「すごい監督なんです」――大学時代から始まり、8年間、瀬古さんと中村監督は「二人」で陸上・長距離界を走り続けた。


中村監督とNZ合宿(1981)


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