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2020年6月号

「検察官の麻雀は亡国の兆し」

塾長 君和田 正夫

 黒川弘務・前東京高検検事長と新聞記者たちとの賭けマージャン問題に対するメディア界の反応に強い関心があります。
 事件の発端は朝日新聞とサンケイ新聞でしたが、読売新聞の渡辺恒雄氏はどのように考えているのでしょうか。
 今年3月20日、NHKのBS放送で「独占告白 渡辺愃雄」の再放送を見ました。政治記者として、新聞経営者としての渡辺氏にNHKの大越健介記者がインタビューしたものです。
 渡辺氏は多くの政治家に食い込んできました。中でも大野伴睦氏、中曽根康弘氏との密接な関係や大蔵省が読売新聞へ土地を払い下げたいきさつなどは、ご本人が「君命も受けざる所あり 私の履歴書」「渡辺恒雄回顧録」などで詳しく明かしていることです。
 大越氏はそうした経歴を踏まえ「相手の懐に入らないといけない、というが、新聞記者がそこまでかかわっていいのか」と渡辺氏に迫ります。どこまで食い込むか、食い込み方に是非はあるのか、長い間議論されてきているテーマです。今回の麻雀も例外ではありません。

  「相手の懐に入ること」は記者活動か

 渡辺氏は政治というものは人情が動かしているのだから、深く食い込まないとわからないものだ、と質問を軽く一蹴しました。取材相手が不遇の時代に付き合って食い込むのだ、というテクニックまで披露しています。
 渡辺氏は「回顧録」の前書きでも「『一定の信頼関係』を、取材対象との“癒着”だと批判するのは、容易かつ単純なことだ。取材上の信頼関係と“癒着”とを区別する最も大事なものは記者自身の倫理観にほかならない。私はこれ以上の弁明はしない」と述べています。
 倫理観とは何でしょうか。「回顧録」には六十年安保について質問者との間で次のようなやり取りがあります。
 ―他にこの安保騒乱で覚えていることはありますか。
 「騒乱の方はないな。ただ政府声明を書いたよ」
 ―政府声明ですか。
 「そうです。六月十五日に樺美智子さんが亡くなったでしょう。そのとき内閣が声明を出すんだけど、僕が書いたんだよ」

 多くの人が驚くでしょう。ここまで政治に密着するのか、と。「岸首相は、16日午前0時10分、異例の臨時閣議をひらき、0時40分、六・一五事件に関する政府声明を発表した」(安保闘争史・信夫清三郎著)とあるので、この声明でしょう。「このたびの全学連の暴挙は暴力革命によって民主的な議会政治を破壊し」と始まります。
 渡辺氏の倫理観は今回の麻雀事件をどう評価するのでしょうか。3人の記者たちは「よく食い込んでいる」ということでしょうか、「記者のやることではない」のでしょうか。渡辺氏について政治の振付師としてあるいは語り部として誰も敵わないと脱帽してきましたが、記者活動の限界を超えていることはご本人も自覚しているはずです。だから「弁明をしない」となるのでしょう。「履歴書」「回想録」はメディアの倫理観について、大いなる誤解を提供する恐れがあります。

  「ついていないよ」と思っていないか

 次に聞いてみたいのは朝日新聞、産経新聞の社長です。渡辺氏と同じことを聞きたいと思いますが、問題は複雑です。記者ら3人の実名をなぜ明かさないのか。黒川氏の軽すぎる「訓告」に、ほっとしているのでしょうか。
 「お前たち、付いてないよな。バレなければ何でもなかったのに」と内心思っているのではないか。記者たちには「特ダネを虎視眈々と狙っていたのか」と聞きたい。まさか勝つことを考えていたわけではないでしょう。このくだらないと思える質問は報道の根幹に関わるものなのです。
 記者の倫理や取材力が問われたとき、いつも引き合いに出されるのは米国のニューヨークタイムズやワシントンポストです。取材上の細かい規則、注意事項があります。「ウォーターゲート事件」や「ペンタゴン機密文書事件」自体が、私たち若い記者の教本でもありました。ピューリツァー賞を取ったワシントンポストの大記者、ボブ・ウッドワード氏は著作だけでなく自身の倫理観を多くの人に語っています。


ウォーターゲート事件、ペンタゴン機密文書事件でワシントンポストは特ダネで政府と対峙した

 そして三人目に聞きたい人は残念ながらすでに亡くなっています。
 私に新聞記者を目指すきっかけを与えてくれた正木ひろし氏(1896年~1975年)は、軍国主義への批判や冤罪事件の弁護士として知られています。「正木ひろし著作集Ⅳ」の「大新聞に注文」と題する記事で次のようなことを書き残しています。検察とメディアへの厳しい目です。
 「司法公害についてはどの社も、まことに消極的です。司法官憲の不公正は国民を、心の底から腐敗させるもっとも毒性の強い公害ではないでしょうか。十月二十日(1973年)の各紙は、現職検事が万引きしてつかまり、警察につき出された記事を載せました。しかし十一月十三日の各紙は、辞職でケリになったことを伝えました。不起訴の理由は、長く血圧降下剤を服用した中毒のためだったという子供だましのものでした」
 同じ全集の「憲法第十五条」(1968年)では
 「高級官僚が異動する時、よく新聞のコラムに人物紹介が出るのを見るが、その趣味というのが、たいてい、ゴルフ、マージャン、酒となっている。公務員の間に、マージャンが流行することは、昔から亡国の兆しといわれる」

  アラームは鳴り続ける

 最後は自問自答です。「自分だったら検事長と麻雀をしただろうか」。おそらくしていない、という妙な自信があります。取材相手がだれであっても、いつもアラームが高く、低く鳴っていました。その法律上、倫理上のリスクをかいくぐって記事を書けるかが、記者活動の分かれ道です。
 残念ながら私にはかいくぐる自信がなかった、技量がなかった、度胸がなかった、ということです。
 このテーマはことあるたびに考えていきたいといます。

(2020・05・28)

君和田 正夫

塾長

1941年(昭和16年)生まれ。早稲田大学卒。
1964年、朝日新聞社入社、経済部記者などを経て2005年(平成17年)テレビ朝日に。
退任後「独立メディア塾」の共同代表。

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