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漱石と「送籍」、奇妙な「才一」

塾長  君和田 正夫

 「戦争論を唱えた新聞記者だけには是非とも一隊を組ませ、どこの戦闘にも前衛としてそれを使ふことにしたいものだ。」「欧州出兵論もまことに結構だが、どうかそんな場合には黒岩涙香君のような出兵論者は、誰よりも先に前衛の一人として出かけて貰いたいものだ」
 昔、薄田泣菫(すすきだ・きゅうきん=1877年(明治10年)5月19日〜1945年10月9日)、黒岩涙香(くろいわるいこう=1862年11月20月29日~1920年10月6日)という名物物書きがいた。薄田は新聞コラムの嚆矢とも言われており、「完本 茶話」はいまも読まれている。その「中」(1915年3月4日)で、黒岩をののしったのが冒頭の文章であり、激しいメディア同士の激突を物語っている。「独立メディア塾」で紹介したことがある。

 「徴兵拒否者としての夏目漱石」も話題になった。作家であり評論家である丸谷才一が、同題の評論を1969年6月号の雑誌「展望」に発表している。(「戸籍の謎と丸谷才一」ソーントン不破直子著による)

 漱石の「裏切り」と「卑怯」

 漱石は北海道に住んだことはないのに、1892年(明治25年)に北海道岩内郡に籍を移して北海道民になり、それから22年間も北海道に籍を置き続けた。丸谷の推測によると、合法的な徴兵忌避の方法から「北海道および琉球に転籍すること」を選んだ。「戸籍の謎と丸谷才一」によれば、この「送籍」は「徴兵免除のため」だったと鏡子夫人らが語っているという。「送籍」は結婚や養子縁組などにより,その人の籍を相手方の戸籍に送り移すことだ。
 漱石の時代にさかのぼったのは、日本が70年も軍隊経験を持っていないことと最近の防衛力強化の議論があまりに自分がってで、漱石の時代の後ろめたさや苛立ちや自責の念が見えないからだ。送籍後の20年間、漱石は神経衰弱と胃病の原因を抱えることになった、と丸谷は言う。丸谷によれば「漱石が戦死した多くの若者たちへの裏切りと自己の社会的地位保全という卑怯と自責を違った形で『こころ』という小説に暴露して自己の精神の平静を保とうとした」(戸籍の謎と丸谷才一)。

 徴兵に対するインテリの強さと弱さを描いた「こころ」。改めて読み返してみたが、若者への裏切りなどを読み取ることは、私にはできなかった。その代わり、日本に2人目の漱石が現れることもないだろう、という強い確信だけが残った。70年間続いた平穏を捨てる代償かもしれない。激しい時代同士の衝突だ。

 30年経っても変わらぬ「戦死」

 メディアの世論調査を見ると、防衛力強化には賛成だが、そのための増税に反対、という人が圧倒的に多い。「そんなバカな」というのが私の考えだ。「平時」ならともかく「戦時」に借金しながら戦う。そこには「卑怯」も「自責」の余地もない。再び「日銀任せ」だけが残る。
 徴兵制はいずれマスコミを巻き込んで大きな問題になるだろう。しかし、その前段で防衛予算の大盤振る舞いが起きてしまった。「平時」の予算編成が「戦時」でも通用すると勘違いするバカな議員たちもウヨウヨ現れだした。
 丸谷について不破には疑問が残る。1925年に山形の開業医の次男として生まれた丸谷の名前が「『才一』は奇妙である」。「私の想像」と断って不破は書く。「生き延びてしまった。(略)自分の周りには戦死したり,戦病死したり…自殺したりしたものがたくさんいる」「これを幸運だったなどといって済ませられるだろうかという思いは終戦後20年経とうが、30年経とうが変わらなかった」。変われない丸谷。だから漱石を自分の姿としてみた。

(2023.01.01)

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