悪い円安、悪いインフレ
ジャーナリスト / 元上智大学教員 小此木 潔
財務相が会見で「悪い円安」指摘
議論のきっかけは、急激な円安が起きたことだ。米連邦準備制度理事会(FRB)による金融引き締めで日米の金利差が拡大し、外国為替市場で円が売り込まれ、今後も金利差拡大で円安傾向が続くとの見方が市場関係者の間で広がっている。この動きに関して、黒田東彦・日銀総裁が基本的には円安が日本経済にプラスだと言い続け、金融緩和政策を貫く姿勢を示していることが、市場の円売りを勢いづけている。
こうした状況下で、鈴木俊一財務相の口から「悪い円安」論が飛び出し、日銀と財務省の間に円安をめぐる見解の相違があることが明らかになった。4月15日の閣議後の記者会見で、鈴木氏は「円安が進んで輸入品等が高騰をしている。そうした原材料を価格に十分転嫁できないとか、買う方でも、賃金が伸びを大きく上回るような、それを補うような所に伸びていないという環境。そういうことについては、悪い円安ということが言えるのではないか」と述べたのである。
円相場の急騰に警戒感を示してけん制しようというつもりだったのかもしれないが、日銀との一致が前提と思われてきた財務相の発言をめぐり、金融界には「円安に対する危機感の表れであるとともに、円安を助長している日本銀行の金融政策姿勢に対する不満の表れなのではないか」といった見方が浮上した。
経済界から日銀に注文も
日本商工会議所の三村明夫会頭も4月7日と21日の記者会見のなかで、「今のレベルの円安は日本経済にとって悪い」と指摘した。ロシアのウクライナ侵攻でエネルギー資源や食糧などの価格高騰に拍車がかかり、円安がこれに追い打ちをかけている現状について「中小企業にとって円安はデメリットの方が大きい。一般の消費者にとってもまったく同じようなことが言える」とし、円安が輸出産業の賃上げや設備投資につながっていない点も問題だと述べた。さらに三村会頭は、「アメリカが金融を引き締めるなか、円安をどう回避するか難しい」としつつも、今の金融緩和政策をどう終えるのか、タイミングややり方を「慎重に考えてもらいたい」と政府・日銀に注文した。
一方、日本経団連の十倉雅和会長も4月18日の会見で、「円安が進んでも、輸出企業にとって昔ほどのプラスのインパクトはなくなってきている」とし、「原材料価格が急激に上がるなか、円安も加わって多くの消費者や輸入する企業、特に中小企業が足もとで非常に苦しんでいる」と、急激に進む円安の問題点を指摘した。
財界ではこのほかに経済同友会の桜田謙悟代表幹事が「1ドル=100円が中長期的にサステナブル(持続可能)な水準だ」と4月初めに述べており、円安に歯止めをかける姿勢を示していない政府や日銀に対して暗に取り組みを促した格好だ。
方針変えない黒田総裁
「悪い円安」が問題視されているのは、それが「悪いインフレ」の要因であるからだ。物価高が続く現状は「悪いインフレ」と表現されるようになっている。労働者の賃金が長年にわたってほとんど横ばいであるのに、目の前の食料品など消費者物価がどんどん上がる。これではたまらない、という不安が人々の間に高まっている。だから輸入物価の上昇要因である円安と、事実上の円安誘導を続ける日銀に疑問符がついた。4月18日の衆院決算行政監視委員会で黒田日銀総裁は「非常に大きな円安や、急速な円安の場合にはマイナスが大きくなる」としたが、「円安が全体として日本経済にプラスだという評価を変えたわけではない」と述べた。
一方、この委員会に同席した鈴木財務相は、原材料価格の高騰を企業が商品価格に十分転嫁できていないことや、賃上げが不十分であることを挙げて、再び「悪い円安」を指摘したため、両者の食い違いは一層際立った。
しかも黒田氏は、エネルギー価格の上昇によって下押し圧力がかかる経済を支えるため、「金融緩和を続けていくことが適当だ」と従来の考えを繰り返した。
4月28日には東京外為市場で円相場が1ドル=130円の大台を突破し、20年ぶりの円安水準となったが、日銀で会見した黒田総裁は、この日も「急激な円安は問題だが、円安は基本的に日本経済にプラスである」との考えを述べるとともに、金融緩和を続ける方針に変わりはないと強調した。
黒田総裁が金融緩和の姿勢を変えない理由はいくつかある。その主なものは①円安は日本経済にプラスに作用しているし、そもそも為替政策は財務省の責任だ②設備投資や消費が盛り上がって物価が自然に上がるならいいが、輸入品の高騰のような物価上昇は家計や企業に悪影響を及ぼして景気を冷やすので、金融緩和が必要だ③日本は物価上昇率が米欧に比べて低いので、利上げなど金融引き締めで対応する必要がない…といったところだ。
日銀は「2%の物価上昇」を目標に掲げて金融緩和をしてきたが、現在のような物価上昇は日銀が目指すものとは別であるから、緩和をやめる理由にならないし、むしろ輸入インフレによる不況対策としても緩和は必要だという論理だ。円安の評価に関しては、安倍政権初期の金融緩和とともに起きた円安が輸出産業の収益増加や株高につながったという過去の体験に引きずられている面もありそうだ。
しかし、このままでは国民の不安はぬぐえない。また、日本経済にとって円安が素直に歓迎された局面は終わっているのに、金融の異次元緩和で実質的な円安誘導を続けている日銀は、通貨の番人としての責任を果たしているのか、という疑問も禁じ得ない。「悪い円安」の指摘が出ているのを機に緩和政策からの出口を考え、国民や市場と対話しつつ軟着陸を目指す知恵と勇気を期待したい。
「日銀のジレンマ」を超えて
「悪い円安」にどう対処すべきか。財務相の発言は急激な円安をけん制するための一種の口先介入のつもりかもしれないが、コンビを組んでいる日銀が不協和音を奏でていては、口先介入も効き目はない。一方、日本単独で円を買ってドルを売る為替介入は意味がないし、有効な円安対策は、まず政府・日銀が一体となって「行きすぎた円安」に関する明確なメッセージを出すことだ。その意味で有効なのは、日銀が金融緩和一辺倒路線を今後修正していくために「出口戦略」の検討を表明することだと筆者は思う。
金融緩和をとことんやれば賃金も物価も上がり、経済成長ができるはず、という狸の皮算用に似た論理にいつまでもしがみついていてはいけない。異次元緩和政策を修正する条件や方法について、過去の経験をもとに検討し、叡智を集めて基本方針を練りなおす作業こそ始めなくてはならない。
金利差を縮小する動きに出れば、景気を冷やすリスクがあり、それを「日銀のジレンマ」とも呼ぶらしい。もちろんそういう面や、市場の暴落を誘発するリスクも考慮する必要はある。だからこそ「軟着陸」を目指して金融緩和政策を修正・転換していく方策について、米FRBの実績を参考にじっくりと検討することが必要だ。
そういう検討に乗り出せば、「悪い円安」の先行きに対する国民や市場関係者の不安を和らげることにつながるし、財務省との不一致も解消して、急激な円安に歯止めをかける口先介入の有効性も増す。
逆に、政策の見直しは相場の暴落の引き金になりかねないと恐れて無為に過ごすなら、「悪い円安」は歯止めを失う危険がある。それとともに、日銀などの買い支えによって人為的に高値水準を維持してきた証券市場は暴落のリスクをさらに蓄積し続ける。勇気を出して今後の道筋を描き、国民と市場に語りかけることこそが黒田総裁の10年間の仕事を締めくくる道であり、総裁としての正しい責任の取り方だと筆者は考える。
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