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「冷戦の始まり」とウクライナの今

在英ジャーナリスト  小林 恭子

 ついこの間まで、私たちは「冷戦は終わった」と思っていた。しかし、本当に終わっていたのだろうか。

 ロシアによるウクライナの侵攻開始から2カ月余がたつが、英国に住む筆者が頻繁に聞くようになった言葉が「西側(the West)」である。「西側に住む私たちは、これからどうしたらいいのか・どうするべきなのか」という問いが発せられる。

 冷戦時代、西側とは米国を中心とする資本主義陣営を指し、対する東側はソ連を中心とする社会主義陣営だった。東西の対立は「冷たい戦争(冷戦)」と呼ばれ、第2次世界大戦(1939~1945年)終了後の1940年代後半から1989年末まで続いた。

 終結から30年以上が過ぎた。ウクライナ侵攻にゴーサインを出したロシアのプーチン大統領の頭の中で、西側を敵視する冷戦意識は健在だ。大統領は、侵攻開始日の2月24日、「特別軍事作戦」を西側陣営の軍事同盟として始まった北大西洋条約機構(NATO)の脅威に対する自衛措置と説明している。

 一方、かつて社会主義陣営にいたポーランド、ハンガリー、ブルガリア、ルーマニアは西側諸国を中心とした欧州統合の流れに参加し、2004年以降、次々と欧州連合(EU)の加盟国となったが、英国メディアの文脈で「私たち」や「西側」という時、ポーランドやブルガリアは想定外で、「東欧」あるいは「旧東欧」という言葉が補足される。とすれば、「西側」諸国にも、欧州を地理上の理由以外に東西に分けて捉える意識が残っていると言えよう。

 トルーマンの演説

 第2次大戦では米国とソ連は同盟国側に属し、ナチス・ドイツが率いる枢軸国側に勝利するが、その後急速に対立を深めた。対立の前後を振り返ると、現在のウクライナ戦争におけるロシア・プーチン大統領の言動や西側との不協和音が重なって見える。


 冷戦の開始時期には諸説あるが、その1つが、1947年3月、トルーマン米大統領よる上下院向けの演説時と言われる。共産圏の封じ込め政策「トルーマン・ドクトリン」が明らかになった演説だ。

 国際ラジオ放送「BBCワールド」の番組「ザ・フォーラム」(4月7日、初放送「トルーマン・ドクトリン:冷戦の始まり」)によると、米英側とソ連側の互いに対する「怖れ、野心、誤解」が冷戦につながっていく。番組内の議論を紹介しながら、初期の経緯をたどってみたい。

 1945年4月、急死したフランクリン・ルーズベルトの後を継いで大統領に就任したのは副大統領のハリー・トルーマンだった。就任から3カ月後には、ドイツの都市ポツダムで、英国のチャーチル首相、ソ連の最高指導者スターリンと戦後処理のための国際会議(「ポツダム会談」)に出席した。

 トルーマンは当初、スターリンを「取引ができる人物」として好意的に受け止めていたが、1947年3月12日、上下両院合同会議に向けた演説では対決姿勢をあらわにした。演説の前半はギリシャとトルコへの財政支援に対する了承を求める内容だが、後半ではこう述べた。

 「近年、世界の多数の国の国民が、意思に反して全体主義体制を押し付けられました」「世界の歴史における今このとき、ほぼすべての国家が、2つに1つの生き方を選ばなければなりません」

 「1つの生き方は、多数派の意志に基づくものであり、自由な制度、代議政治、自由選挙、個人的自由の保障、言論と宗教の自由、そして政治的抑圧からの自由を特徴とします」

 「もう1つの生き方は、少数派の意思を多数派に押し付けるものです。それはテロと弾圧、出版とラジオの統制、仕組まれた選挙、そして個人の自由の抑圧―などに依存するものです」

 「少数派の武装勢力や外部圧力による隷属化の試みに抵抗する自由な諸国の国民を支援することが、米国の政策でなければならないと私は信じています」

 米バージニア大学のメルヴィン・レフラー教授は、演説は大統領による「冷戦宣言」だったという(上記番組内)。ソ連対西側の対立は、「ロシア革命によってソ連が誕生した時から既に存在し、第2次大戦中も(戦略の違いから)両者は常に緊張関係にあった」。米英は原子爆弾の開発を進めていたが、ソ連には隠していた(しかし、スパイを送り込んでいたスターリンは開発計画を知っていた)。当時は、ナチスドイツ討伐という目的が「すべてに最優先」した。

 戦後、欧州の将来をめぐって軋みが顕在化していく。

 ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスのウラディスラフ・ズボック教授によると、スターリンは戦前からすでに「国民の中に大きな不安感を植え付ける政策を実行してきた」(同番組内)。「独裁体制のみが敵対的な世界と戦っていくことできる」、と自身の政権を正当化した。「すべての外国勢力からの脅威を誇張した」。

 ナチスドイツという強敵に勝ったことで「国民の間に誇りが生まれるとともに、自分たちは公正な分け前を獲得するべきという感覚が出てきた」。大戦でのソ連の犠牲者は西側諸国よりはるかに大きく、スターリンは「西側から最大限の交渉条件を引き出そうとした」。日本、朝鮮半島、満州国、欧州ではポーランド回廊からルーマニア、ブルガリアに広がる地域をソ連の影響下に置くことを狙った。

 スターリン演説に端を発した米国の「共産主義=病気」説

 1946年2月、ソ連最高会議の選挙前、スターリンは農業と重工業を大幅に強化する演説を行った。これが米政権の一部に懸念を発生させた。「科学を世界的な優位に立たせる」は「原爆開発への野心」と受け止められ、「自国の安全保障を確固なものにするため、1960年までに鉄の生産を3倍に増やす」は「西側と軍事対立を想定している」と解釈された(米オハイオ州ウースターカレッジのデニーズ・ボスドルフ教授)。

 「ソ連を大きな脅威」と見なす考えが次第に米政権内で広がっていく。モスクワの米大使館にいた外交官ジョージ・ケナンが驚くべき現地報告を送ってきた。病床にあったケナンだが、8000語にも上る電報文を書きとらせた。ケナンは共産主義を病気に例えた。「体を内側から破壊する」のが共産主義だ、と。労組、市民組織、文化団体などにすでに浸透しており、「敵は私たちの中にいる」。ケナンは共産主義を封じ込めて、米国やほかの国に広がることを防がなければいけないと訴えた。

 同年3月、トルーマンの招待で米国を訪れたチャーチル元首相は米ミズーリ―州ウェストミンスターカレッジで、「鉄のカーテン」演説を行う。「欧州大陸に鉄のカーテンが下ろされた。中欧、東欧の歴史ある首都はすべてその向こうにある」。

 スターリンはこの演説に憤ったという。演説は米英の軍事連携を意味していた。スターリンは両国への大きな疑念を抱き、さらなる鉄の増産と自国内での原子爆弾の開発を命じた。

 「第3次世界大戦を始めようと思ったのではない」(ズボック教授)。「強い不安感を持ったからだ。米国に対抗するには原爆のような兵器、強力な産業基盤、近代的な軍隊が必須と考えた」。

 スターリンは、ワシントンにいたソ連大使ニコライ・ノヴィコフにヴャチェスラフ・モロトフ外相の指導の下、「ノヴィコフ電報」(1946年9月)を執筆させ、モスクワに送らせた。「スターリン自身が書いた可能性もある」(同教授)。米国側のケナン電報に対抗した内容で、戦後の米外交を分析し、世界制覇がその狙いだと指摘した。

 1947年3月の演説で、トルーマンは「共産主義者が率いる数千人の武装集団のテロ活動によって」、「国家の存在そのものが脅威にさらされている」ギリシャとその「国家の一体性」が「中東の秩序維持に不可欠な」トルコへの財政支援を議会に求め、最終的に了承を得た。1952年、両国はNATOに加入する。1955年、NATOに対抗する軍事組織として「ワルシャワ条約機構が結成された(1991年、解体)。

 ズボック教授もボスドルフ教授、当時の米政権がソ連によるギリシャとトルコに対する脅威を「誇張していた」、と述べる。

 米国による欧州への関与はさらに深まる。1947年6月、マーシャル国務長官が「欧州復興計画」(通称「マーシャルプラン」)の実施を提唱する。目的は「西欧経済の再建、共産主義のアピール力の低下、疲労したドイツの産業構造を再構築し、西欧社会に統合させること」だった(レフラー教授)。

 冷戦は、1989年の東欧革命を発端に終結に向かい、同年12月、米ソの首脳による終結宣言が出された。

 今、私たちは新たな冷戦の時代に入っているのだろうか。

 今年4月26日、ウクライナ侵攻を受けてEUや西側諸国から制裁を科されているロシアは、翌日からポーランドとブルガリアへの天然ガス供給を停止すると通告した。プーチン大統領はロシア産ガスの支払いをルーブルで行うよう要求しており、拒否すれば供給停止を警告していた。

 筆者はかつての「ベルリン封鎖」をほうふつとした。

 大戦後、敗戦国となったドイツは米英仏ソの4カ国によって分割占領された。首都ベルリンはソ連の領域に入っていたが、都市自体が4カ国の共同管理とされ、1948年6月、西側3国が占領地域で新通貨ドイツマルクを発行すると、ソ連はドイツを分断させる措置として抗議し、西側管理区の西ベルリンにつながるすべての交通を封鎖した。

 米英による物資の空輸作戦によって封鎖は1949年9月30日に終了するが、この過程を通じてドイツは東西の2つの国に分かれた。1961年、東ドイツは西ドイツへの自国民の逃亡を防ぐため、ベルリンの壁を建設するに至る。

 現在の状況を「新・冷戦」と呼ぶべきかどうかについて、結論を出すには尚早かもしれない。ただ、プーチン大統領が抱く「西側に取り囲まれるという不安感や不信感」が、スターリンと同様の根深い冷戦意識に基づくものであるとすれば、ウクライナ侵攻をそう簡単に断念するはずもない。



▼ BBCラジオの番組は以下から聞くことができる。
The Forum
The Truman Doctrine: Beginnings of the Cold War
https://www.bbc.co.uk/programmes/w3ct38s4

※トルーマンの演説の邦訳は以下から引用した(アメリカンセンター・ジャパン)
https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/2382/

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