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小林 恭子

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2020年7月号

銅像撤去は歴史を消すか

在英ジャーナリスト 小林 恭子

 米中西部ミネソタ州で5月25日、白人警官の暴行によって黒人男性ジョージ・フロイドさんが亡くなった。この事件をきっかけに、反人種差別を訴えるデモが世界各地で発生している。合言葉は「Black Lives Matter(黒人にも命がある)」である。
 英国でもロンドンを含む複数の都市で数千人がデモに参加した。6月7日には、南西部の港町ブリストルで17世紀の奴隷商人エドワード・コルストン(1636-1721年)の銅像を引き倒され、ブリストル湾に投げ込まれるという衝撃的な事件が起きた。
 デモの趣旨に異を唱える人はいないとしても、銅像を倒壊させ、海に投げ込むとは「やりすぎではないか」。筆者もそう思った一人である。
 2日後の6月9日、今度はロンドン東部ドックランド地区にあったロバート・ミリガン(1746-1809年)の銅像が、これを管轄する「運河河川トラスト」の手によって撤去された。ミリガンは奴隷を使った砂糖プランテーションの経営者だった。

  チャーチルもビクトリア女王も

 コルストン、ミリガンだけではなく、奴隷貿易や英国の植民地支配に関連した人物の銅像の撤去を求める声が続々と上がりだした。
 もっとも著名な例が、オックスフォード大学オリオル・カレッジの建物の正面中央にあるセシル・ローズ(1853-1902年)の石像だ。ローズは英国の植民地だった南アフリカの鉱物採掘で巨万の富を得た人物で、ケーブ植民地政府の首相(1890-96年)でもあった。アングロサクソンを最も優れた人種と考える人種差別主義者であり、大英帝国時代の植民地主義を体現する。その一方で、ローズは多大な遺産を母校に寄付し、「ローズ奨学金」と呼ばれる留学生の奨学基金を設立している。
 オックスフォード大学では以前から撤去要求の運動が発生していたが、今回の反人種差別運動やコルストンの銅像事件を発端として、議論が再燃した。17日、オリオル・カレッジの理事会は石像撤去の意向を発表している。
 第2次世界大戦の名宰相ウィンストン・チャーチル(1874-1965年)も「好ましくない人物」となった。ロンドンのウエストミンスター議会前の広場には、チャーチルの大きな銅像がある。反人種差別主義のデモに参加した一人が銅像に「人種差別者」と落書きし、ロンドン市はこれ以上の損害を防ぐために一時銅像をパネルで覆わざるを得なくなった(現在は、パネル撤去)。チャーチルは、生前、インド人に対する差別的な言動をしていた。
 北部の都市リーズにあるビクトリア女王の銅像にも「殺人者」、「奴隷所有者」などの落書きが書き込まれた。
 北西部にあるリバプール大学には、4回首相に就任した経験を持つ政治家ウイリアム・グラッドストーン(1809-1898年)の名前を冠した建物がある。グラッドストーンは西インド諸島で奴隷制農場を経営していた貿易商の息子である。今月、リバプール大学は建物の名前を変更することを決定した。

  誰のどの部分の歴史なのか

 銅像撤去や名称変更は、「歴史を消す行為」ではないのか? こうした指摘を、よく聞くようになった。
 筆者もこの点を危惧していたが、ブリストルでデモに参加した黒人市民の声をメディアを通して聞いた後で、止められない時代の流れの一環ではないかと思うようになった。 社会を構成する人々の物事の考え方や価値観が変われば、公的空間に何をどのように出していくかの判断基準も変わっていく。
 デモ参加者の1人は、コルストンの功績を称える銅像を毎日、目にすることで、「白人の優越性の象徴を見せられているようだった」、「黒人の自分には価値がないと思った」と語っていた。また、デモに参加しなかった人を含めて、複数のブリストル市民が「銅像は博物館にあるべき」と述べていた。
 そもそも、「歴史を消す行為」という時の「歴史」とは何を指すのだろうか。コルストンは奴隷貿易で得た富をブリストルの学校や病院の支援に使い、遺産の多くを慈善団体に寄付した。ブリストルには今でもコルストンにちなんだ名称の通り、建物、記念碑がたくさんある。慈善家としてのコルストンを見るのか、奴隷商人の部分を見るのか。倒壊前、銅像の銘板には後者についての言及がなかった。
 地元の警察署長は破壊の「理由は理解できる」と述べ、マービン・リース市長は声明で「この銅像が人道への侮辱を表すものと感じた人達の声を聞くのは重要だ」としている。リース市長の父はジャマイカ人である。ブリストル市では銅像撤去の機が熟していたのだろう。
 コルストンの銅像は「Black Lives Matter」のプラカードとともに、ブリストル市内の博物館に収められる予定だという。Black Lives Matter運動をきっかけに銅像が撤去され、博物館に置かれるとすれば、この経過自体が新たな歴史の一コマと言えそうだ。

  移住を決めた、ある黒人市民

 BBCニュースの記者が英国に住む数人の黒人青年に対し、人種差別の経験について聞いている(6月15日付記事)。

「英国にいると、外国人のように感じる」という黒人の若者たち(BBCニュース、6月15日)

 昨年、サッカーの試合を観戦後に自宅に戻る途中だったミュージシャンのデーヨ・ベロさんは、放火事件に関連したとみられ、警察に逮捕されたという。「24時間、拘束された」。その後5か月間にわたり捜査が続き、結局無関係だったことが分かった。「今でもトラウマがある」。ベロさんは、自分が黒人であるがためにターゲットにされたと感じている。内務省の調べによれば、白人の3倍以上の黒人が逮捕されている(イングランド・ウエールズ地方)。2018-19年で黒人の市民による警察の対応についての苦情は約1200件に上った。
 今は起業家のウィリアム・アドアシさん。ある会社に勤めていた時、「よく働くね。そうか、ナイジェリアの契約社員みたいにたくさんお金が欲しいんだね」と上司に言われたことが忘れられない。アドアシさんは、妻と子供を連れて、両親が住むガーナに移住予定だ。「人種偏見が社会に深くしみついて、逃れるのは不可能だから」。
 反人種偏見・人種差別を訴える政治家、活動家、ジャーナリストは銅像撤去や名称変更といった動き以上に重要なこととして、有色人種に対する偏見をなくするための意識改革、雇用や企業人事、教育面での支援提供を挙げている。

【 参考 】

▽コルストンの銅像が倒される動画が入った、BBCニュースの記事(6月8日)
Edward Colston: 'Why the statue had to fall'
https://www.bbc.co.uk/news/uk-england-bristol-52965803

▽ウインストン・チャーチル 英雄か悪人か(BBCニュースの動画、6月18日)
https://www.bbc.com/japanese/video-53011764

▽黒人市民が現状を吐露する動画が視聴できる(BBCニュース、6月15日)
Black Lives Matter: We need action on racism not more reports, says David Lammy
https://www.bbc.co.uk/news/uk-53049586

小林 恭子

在英ジャーナリスト

1981年、成城大学文芸学部芸術学科卒業(映画専攻)。
外資系金融機関勤務後、「デイリー・ヨミウリ」(現「ジャパン・ニューズ」)記者・編集者を経て、2002年に渡英。
英国や欧州のメディア事情や政治、経済、社会現象を複数の媒体に寄稿。
「新聞研究」(日本新聞協会)、「GALAC」(放送批評懇談会)、「メディア展望』(新聞通信調査会)などにメディア評を連載。
著書に『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス(新書)』(共著、洋泉社)、『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『チャーチルファクター』(共訳、プレジデント社)、『英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱』(中公新書ラクレ)

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