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  • 小林 恭子 在英ジャーナリスト

    成城大学文芸学部芸術学科卒業(映画専攻)。外資系金融機関勤務後、「デイリー・ヨミウリ」(現「ジャパン・ニューズ」)記者・編集者を経て、2002年に渡英。英国や欧州のメディア事情や政治、経済、社会現象を複数の媒体に寄稿。「新聞研究」(日本新聞協会)、「GALAC」(放送批評懇談会)、「メディア展望』(新聞通信調査会)などにメディア評を連載。

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未だに残るグアンタナモ収容所 9・11テロから20年

小林 恭子

2021.10.01

 2001年9月11日、米国で同時多発テロが発生した。

 ニューヨークの世界貿易センタービルに、ハイジャックされた飛行機が追突する様子を筆者は東京の外国特派員クラブに置かれていたテレビの画面を通して見た。「一体これは何を意味するのか」とテレビの周りに集まった人たちと話しているうちに、別の飛行機がビルに突入。誰かが「これは、テロだ」と言い出した。

 大慌てで、当時勤めていた新聞社の同僚たちと一緒に社のビルに向かったことを覚えている。

 ブッシュ米政権(当時)は、国際テロ組織「アルカイダ」を率いていたオサマ・ビンラディンを首謀者と断定し、01年10月7日、彼をかくまっているとされたイスラム主義組織タリバンが統治するアフガニスタンに侵攻した。米国主導の「対テロ戦争」の始まりである。

 約3,000人の犠牲者を出した米国の衝撃と痛み、悲しみは世界中の人々の間で共有された。

 しかし、「一体感」は次第に薄れてゆく。国際法から逸脱したとみられるブッシュ政権の行動に疑問が呈されるようになっていったからだ。

 筆者にとって、米国と言えば「世界の警察官」であり、「正義」、「法の支配」と言った価値観が守られる国という印象があった。

 しかし、そんな印象が崩れるような事態が起きてゆく。その最たる例がキューバ東南部のグアンタナモ湾にある米海軍基地に設置された、テロ容疑者専用の収容所であった。

 さるぐつわ、目隠し、足枷のジャンプスーツ姿

 1902年、キューバの対スペイン戦争に介入した米国は、独立を認める一方で、米国がキューバの内戦に干渉する権利と軍事基地保有権をキューバ憲法に修正条項として盛り込ませた。この条項を基に米国はグアンタナモ湾内の領土を賃貸し、海軍基地を建設している。

 2001年の9・11テロ後、02年1月から、米政府はアフガニスタンや隣国パキスタンなどでの対テロ戦で拘束した男性たちを次々と基地の一角にある収容所に送りだした。ピーク時には収容者は780人ほどに上ったと言われている。

 報道された収容者の姿はあまりにも異様だった。オレンジ色のジャンプスーツに身を包み、目隠し、さるぐつわ、足枷をつけられたまま、看守に両腕を抱えられながら歩を進める収容者がいるかと思うと、戸外に設置された鉄条網の檻の中で、イスラム教の祈りを捧げる何人もの収容者たちもいた。

 ジュネーブ条約、適用されないブラックホール

 「正義の国」のはずの米国が、なぜこのようなことができたのか。

 ブッシュ政権の解釈によれば、拘束者は戦争捕虜の待遇を決めたジュネーブ条約が適用されない「敵性戦闘員」だ。従って、「被疑事実を告げぬまま無期限に拘束できる」ことになった。グアンタナモはキューバからの租借地という立地もあって、米国法も適用されず、拘束者たちは何年にもわたって「法のブラックホール」状態に置かれた。

 人権保護団体などの報告によれば、収容者たちは殴るけるなどの暴力行為、睡眠妨害、冷たい室温の部屋で放置、大音量の音楽を強制的に聞かされる、手錠をかけての宙づり、水責め尋問などのほかに、「尊厳と宗教的信念を踏みにじる行為ー頭巾を被せる、裸にする、女性軍曹による性的虐待、コーランを汚す、踏みつけるなどの冒涜」などにさらされた(「人権保障の及ばない場-グアンタナモ基地でいったい何が起きているのか」、弁護士伊藤和子氏による報告)。拷問、と言ってよいだろう。

 米国は拷問禁止条約を批准しているが、拷問については「極めて狭い独自の定義を採用し」一連の尋問テクニックを承認した(上記報告)。

 映画化され、日本でも公開へ

 グアンタナモ収容所に送られた男性の一人が、アフリカ大陸北西部に位置するモーリタニア出身のモハメドゥ・ウルド・スラヒ氏(50歳)だ。

 アルカイダのメンバーという疑いをかけられ、01年秋からヨルダン、アフガニスタンの米軍指揮下の秘密施設に拘留された。02年8月、グアンタナモへ。殴打、睡眠妨害、性的虐待に遭い、長時間の尋問を受けた。その尋問のすさまじさに、嘘の自白さえせざるを得なくなった。

 「正義の国、米国でこんな扱いを受けるとは」。スラヒ氏は後にそう語っている。

 グアンタナモに来て3年目の05年、米国人弁護士ナンシー・ホランダー氏がスラヒ氏を訪れる。弁護士の勧めでスラヒ氏は自分の身に起きたことを手記としてしたためた。

 12年、手記は一般市民にも閲覧可能になったが、頁は黒塗りでいっぱいだった。手記は後に本として出版され、ベストセラーになる。

 米連邦地方裁判所がスラヒ氏の釈放を命じたのは、2010年。しかし、米政府が控訴したため、実際に釈放されたのは2016年だった。

 スラヒ氏の物語は『モーリタニアン 黒塗りの記録』として映画化され、日本では10月29日から劇場公開される。

 テロ発生と、その後の戦争の記憶を大事に

 9・11テロ発生から20年目となった今年、ニューヨークでは例年通り追悼式典が開催され、その様子は世界中で報道された。9月11日に向けて、筆者が住む英国の放送局は複数の特別番組を作って放送したほか、ネットフリックスもノンフィクション・シリーズ『ターニング・ポイント』を配信した。 

 しかし、20年前の米国で起きたテロのことを、いま日本に住む若い人はどれほど強烈なイメージで認識しているだろうか。当時少なくとも中学生ぐらいでないと、記憶に残っていないのではないか。

 9・11テロ後のアフガン戦争(01年)も、今夏、米軍や北大西洋条約機構(NATO)軍の撤収が大混乱を引き起こしたことで目を引いたが、それがなかったら、大きな話題にはならなかったかもしれない。

 「テロの戦争」の一環として、米英が中心となり、国連決議なしに踏み切ったイラク戦争(2003年3月)が違法な戦争だったのではないか、という議論が盛んに行われたことを今思い出す人も少ないように思う。

 しかし、世界の大国が国際法を軽視するような行動を起こすことがある、ということを2021年に生きる私たちは忘れてはいけないのだと思う。

 『モーリタニアン 黒塗りの記録』には、フランスの有望若手俳優タハール・ラヒム扮するスラヒ氏が厳しい尋問や虐待を受ける、直視できない場面が出てくる。

 しかし、映画はそのような衝撃的な場面よりも、スラヒ氏がなぜこのような処遇を受けたのか、なぜ釈放までに10年以上かかかったのか、そしてテロの戦争についての静かな怒りをより強く伝えてくる。

 映画の中、そして実際のスラヒ氏は明るく楽天的で、救われるような思いがする。



モハメドゥ・ウルド・スラヒ氏(左)と弁護士ナンシー・ホランダー氏をタハール・ラヒムとジョディ・フォスターが演じている。
映画『モーリタニアン 黒塗りの記録』より。
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 グアンタナモ収容所はまだ存在している。30人強が未だ収容中だ。収容者の待遇は大幅に改善され、上記のような尋問テクニックはもう使われていないという。これまでに訴追されたのは10人程度で、ほとんどの収容者は訴追されることがないまま本国か第3国に移送されてきた。

 バイデン米大統領はオバマ前大統領(在職2009-17年)同様、収容所を閉鎖予定だ。今年7月には、02年から拘束されてきたモロッコ人の男性1人を本国に送還した。

 しかし、アフガニスタンでタリバンが復権した今、送還された収容者がイスラムテロに走る懸念も指摘されており、閉鎖が本当に実現できるのかが不透明となっている。

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