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戻ってきた金歯 ベルギーとコンゴの暗い歴史

在英ジャーナリスト  小林 恭子

 ベルギーとコンゴ民主共和国。先月末、その暗い歴史が改めて世界の注目を集めた。

 6月20日、かつてベルギーの植民地だったコンゴ民主共和国の初代首相パトリス・ルムンバの金歯1本が親族に返還された。「コンゴ独立の英雄」とされたルムンバ(1925年~61年)は、首相就任から数か月後に暗殺され、遺体の大部分が硫酸で溶かされてしまったため、金歯だけが戻ってきた。

 返還の式典で、ベルギーのデクロー首相は、61年前、軍事クーデターの最中にルムンバが誘拐され、拷問を受け、殺害されたとき、「ベルギー政府、外交官、官僚、兵士ら」が何も手を打たなかったことを認めた。「悲痛な、不快な真実だ」


暗殺されたルムンバ元首相の金歯返却式に出席した
コンゴ民主共和国のサマ・ルコンデ現首相(最前列左)と
ベルギーのデクロー首相(右)
(コンゴ民主共和国首相のウェブサイトよりキャプチャー)

 「私たちには道義上の責任がある。遺族の前で、ベルギー政府として謝罪したい」。

 ベルギーとコンゴのかかわりは19世紀後半から20世紀初頭にかけて、国王レオポルド2世(在位1865年~1909年)が中部アフリカに位置するコンゴ地域の一部を「コンゴ自由国」(1885年~1908年)として私領地化した時から始まった。自由国の面積はベルギーの80倍にもなる。

 コンゴ自由国の住民たちは世界的需要があった天然ゴムや貴重な象牙の採集のために強制的に働かされ、ノルマを達成できないと手足が切断された例もあったという。当時、コンゴに駐在していた英国領事ロジャー・ケースメントがその残酷さを記録している。

 レオポルド2世が統治した23年間で、飢餓や過酷な労働による疾病によって1000万人以上が亡くなったという。

 コンゴの富がベルギーを豊かにした

 1906年、レオポルド2世は鉱山会社「ユニオン・ミニエール」を立ち上げ、コンゴの鉱物資源の搾取に力を入れた。獲得した富はベルギー経済に投入され、産業化を加速させた。

 1908年にベルギーの植民地となった後も、コンゴはベルギー経済に大きな役割を果たし続けた。

 1929年までに、英国との合弁会社となったユニオン・ルミエールは世界最大の銅生産企業となり、1960年代末にはコバルト生産でも世界一の企業となった。コンゴの総収入の約半分、輸出の70%を同社が生み出した。

 ユニオン・ルミエール社は思わぬところで日本と結びつく。英フィナンシャル・タイムズ紙のニール・ムンシ特派員によれば、1945年、広島・長崎に投下された原子力爆弾の原料ウランは同社がコンゴから採取したものだったという(2020年11月13日付記事)。

 レオポルド2世の暴政に国際社会からの非難が高まり、1908年、ベルギー政府は植民地憲章を制定し、国王に補償金を払って、自由国をベルギー領コンゴとした。

 1960年、ベルギー領コンゴは独立を果たして「コンゴ共和国」となり、クーデター、内戦などの激動期を経て現在の「コンゴ民主共和国」(首都キンシャサ)となった。北西の隣国が元フランスの植民地で今は独立国となった「コンゴ共和国」(首都ブラザヴィル)だ。

 ルムンバ暗殺事件

 暗殺までの経緯をたどってみる。

 1960年、コンゴ共和国が誕生した時、ルムンバは34歳だった。政権移譲の式典で、ベルギーのボードワン国王は植民地政府による統治を称賛し、レオポルド2世がコンゴを「文明化した」と述べた。レオポルド2世がコンゴを私有地化した際の犠牲については一切触れなかった。

 一方のルムンバはコンゴ住民が直面した暴力や不名誉、「力づくで強制された屈辱的な奴隷制度」に言及し、コンゴ側の出席者から大きな喝さいを浴びた。ベルギーの作家ルード・デ・ウィッテの『ルムンバの暗殺』(1999年、未訳)によると、ベルギー側は驚愕したという。アフリカ住民が欧州人の前でこのようなことを口にするのは前代未聞だった。

 ルムンバの演説は「自分で自分の死刑宣告を書いたようなもの」と評する人もいる。翌年の暗殺は米ソの対立による冷戦、そして独立後も支配力を維持したいと願うベルギーの思惑の中で発生した。

 米国や英国にとってルムンバは冷戦下の敵・ソビエト連邦にシンパシーを持つ危険な人物だった。デ・ウィッテの本が起爆剤となってコンゴ議会の調査委員会が発足した。殺害にかかわる状況とベルギー警察の関与を調べた、その報告書(2001年)によると、米国および英国にはルムンバの殺害計画があったという。

 独立から1週間もたたない1960年7月上旬、コンゴ陸軍兵士が待遇改善と軍内に残っていた白人将校の追放を求めて反乱を起こし、これが内戦状態の「コンゴ動乱」につながってゆく。まもなくして、ベルギーは自国民保護を名目として各地に空挺部隊を送り込んだ。

 鉱物資源が豊富でベルギーや米国寄りの勢力が支配する南西部のカタンガ州が、混乱に乗じて、分離独立を宣言する。コンゴ政府は国連に軍事支援を求め、国連軍が投入されるが、同州への積極的介入に消極的であったことから、ルムンバはソ連に支援を求めた。国連軍の撤退を公言したことで、ルムンバは米英の敵になった。

 同時に、ルムンバと米国寄りのカサブブ大統領との間に亀裂が生じ、9月、カサブブはルムンバを罷免。中央政府は分裂してしてしまう。

 カサブブ大統領支持派でコンゴ国軍のモブツ大佐が軍事クーデターを決行し、10月、大統領令でルムンバを逮捕。翌年1月、ルムンバはルムンバ派の数人とともにカタンガ州に移送され、同月午後9時40分、カタンガ州当局の命令で「同州の憲兵あるいは警察官によって」、ジャングルの中で銃殺刑に処された(先の調査委員会の報告書)。処刑に立ち会ったのは州政府の政治家のほかにベルギー警察の1人、ベルギーの政府高官3人である。

 調査委員会の報告書は、「ベルギー政府の一部がルムンバの死について道義的責任があった」と結論付けている。

 遺体の処理を担当したのは、ベルギー警察のジェラール・ソエテだった。一旦は遺体を浅く埋めたものの、翌日、掘り返して200キロ先の森林まで運び、6メートルの深さの穴を掘って、埋葬した。数日後、さらに徹底的に遺体を破棄するため、のこ、硫酸、耐酸性があるドラム缶、ウイスキーのボトル、マスクなどを持参し、遺体を切り刻んだ後硫酸を使って溶かし、残りは燃やしたという。

 「動物でもしないことをやった」。1999年、あるテレビ番組に出演したソエテはこう言った。最後の遺体破棄時に2本の歯と指数本を「狩猟のトロフィー」として懐に入れたことも明らかにした。ソエテは2000年に亡くなった。

 ルムンバの暗殺から55年後の2016年、ソエテの娘がベルギーの雑誌「Humo」のインタビューの中で「面白いものがある」と言って、取材者に見せ、写真を撮らせたのがルムンバの金歯だった。

 雑誌記事をきっかけに金歯の存在が明白になり、ベルギー当局が金歯を没収。その帰属をめぐってベルギーとコンゴの間で裁判沙汰となり、2020年、ベルギーの裁判所が遺族への返還を命じた。

 コンゴ出身で現在は米国でアフリカ研究を専門とするジョルジュ・ンゾンゴラ・ンタラジャ教授は、BBCの取材に対し、ベルギーは暗殺での自国の役割を十分に受け止めていない、と指摘する(BBCニュース、6月20日付)。「自分たちがやったことを自覚しているのに、責任を取ることは拒否している」、金歯が返還されても「納得できない」。

 同じくBBCの記事の中で、遺族の一人で娘のジュリアナさんは今回の返還が植民地時代と父親の暗殺についての和解につながる「一歩」だという。「もっと歩を進める必要がある」「未来を築き上げ、現在を生きるためには、過去を知らないと」。

 現在までに、ルムンバ暗殺で有罪となった人物はいない。

 近年、ベルギー政府は過去の植民地政策を反省する発言を行っている。6月上旬にはフィリップ国王がコンゴを訪問し、過去のコンゴ支配に深い遺憾の意を示した。

 金歯はコンゴ国内で巡回展示された後、首都キンシャサで埋葬された。金歯以外の所在は分かっていない。

 欧州列強のアフリカ分割

 アフリカ大陸の一部を植民地化したのは、ベルギーだけではなかった。

 19世紀後半、欧州列強は大陸の植民地化で競い合い、その調整を図るため、ベルリン会議(「ベルリン・コンゴ会議」とも呼ばれる、1884年~85年)が開かれた。出席国は英国、ドイツ、フランス、ポルトガル、オーストリア、米国など14か国。

 この場でレオポルド2世の私領としてのコンゴ自由国の承認と、最初に占領した国がその地域の領有権を持つ「占有権」がアフリカ分割の原則として確認された。

 この時に締結されたベルリン条約の下、欧州各国によるアフリカ分割が加速し、大陸のほぼ全域が植民地化された。

 17世紀から19世紀には、「奴隷貿易」が盛んに行われた。欧州列強がアフリカ西岸で黒人住民を捕らえ、米国、カナダ、オーストラリアや西インド諸島に労働力として提供した。移送された人々は大規模農園で過酷な労働環境の下で働かされた。

 19世紀末までに、奴隷廃止運動の高まりを受けて、奴隷貿易・奴隷制度は廃止されていく一方で、アフリカ大陸を舞台とする資源と市場確保の競争は続いた。

 20世紀以降、アフリカ諸国はそれぞれ独立を遂げるが、現地の土地所有や住民の居住地を度外視した分割統治が長く続いたため、現在も部族的な対立や国境紛争が絶えない原因を作ったと言われている。

 ベルギー・アントワープ大学が2020年7月に発表した世論調査によると、ベルギー住民の半数が植民地化はコンゴに恩恵を与えたと考えていた。ただし、75%が植民地化についてベルギーは謝罪するべきと答えている。

 国連の「アフリカ出身者についての専門家作業グループ」はベルギーのアフリカ系住民の人権状況について実地調査を行っている。2019年2月、発表された報告書は「人種差別、外国人嫌い、アフリカ住民に対する恐怖心などに関連した不寛容をアフリカ系住民が経験している」ことを指摘した。現在の人権侵害の「根本的な原因は植民地化時代の暴力と不正義の真の影響を認識していないことから生じている」。

 そして、「過去の暗い歴史の1章を閉じ、和解と癒しを進めるには、ベルギー国民が植民地化におけるレオポルド2世とベルギーの役割、ベルギーとアフリカ関係の長期的影響を最終的に直視し、認識することが必要だ」と書いている。

 2020年5月、米国で白人警官が黒人青年を殺害した事件が発端となり、人種差別を撤廃する運動「ブラックライブズ・マター(黒人の命も重要だ)」が世界中に広がった。米国でも、筆者が住む英国でも有色人種に対する偏見や差別は消えていない。


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