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嘘で政治家が辞める、英政界

在英ジャーナリスト  小林 恭子

 9月5日、英国では新しい首相が誕生する。ジョンソン現首相が7月7日、与党・保守党党首辞任の意向を表明したことを受け、2カ月近く新党首選びが続いてきた。全国の保守党員の投票で決定され、結果が出る。

 ジョンソン政権の交代は政策が大失敗したからでも、汚職が発覚したからでもない。首相の度重なる嘘が続き、閣僚らが一斉に抗議の辞任をしたためだ。「嘘で辞任」したのである。

 「嘘をついたぐらいで、政治家が辞任する?」驚く方は多いだろうと思う。

 しかし、英国では政治家が嘘をつけば、辞任も想定されるほどの重みを持って受け止められる。特に議会で嘘の発言をすれば、大罪だ。1960年代初期、英陸相ジョン・プロフューモがある女性モデルと性的関係を持った。このモデルはソ連(当時)の海軍武官とも関係を持っていた。軍事機密漏洩の疑惑が発生し、1963年3月、プロフューモは下院で問いただされた。「その女性は知っているが、不品行な関係はない」とプロフューモは断言した。

 陸相の否定をよそに、メディアはこの女性とプロフューモの関係、機密漏洩の可能性を大々的に取り上げた。同年6月、プロフューモはマクミラン首相に向けた書簡の中で、「議会発言に嘘があった」と書いて女性との肉体関係を認めるとともに、辞任した。

 プロフューモはその後、慈善活動に一生を捧げた。

 英国は主権を議会に置く、議会民主制を取る国だ。意図的に議会に間違った情報を与えた場合は、議会侮辱になる。この重要な場所で嘘が通用するようであれば、すべての土台がくずれてしまう。

 「大臣規則」によると、大臣は「正確で真実の情報を議会に提出する」ことになっている。「意図的に間違った情報を提供した場合」は辞任を届け出るのが決まりだ。

 規則破りの政治家

 元ジャーナリストのジョンソン氏(58歳)は、国民からもほかの政治家たちからも長い名前の一部を取った「ボリス」と呼ばれてきた。愛称だけで通用する現役の政治家は彼ぐらいしかない。ぼさぼさの金髪と人懐こい笑顔が印象的だ。

 名門イートン校からオックスフォード大学に進み、英高級紙タイムズの記者になった。エリート層の若者の典型的なコースの1つだが、タイムズでは原稿の中で引用を捏造したことがばれ、すぐに解雇されてしまう。

 そこで、オックスフォード大学のコネで保守党と関係が深いデイリー・テレグラフ紙の欧州特派員となった。メディア界で着々と歩を進め、保守系政治誌「スペクテイター」の編集長に。2001年には保守党下院議員として初当選し、政治家とジャーナリストの2足の草鞋を履いた。2008年からはロンドン市長として2期務めた。2016年には下院議員に戻り、メイ政権(2016年~2019年)では外相(2016年~2018年)に抜擢された。

 ジョンソン氏の特徴は、コラムニスト、作家、政治家であるほかに、「道化(クラウン)」であることだ。頻繁にジョークを飛ばし、その場を和ませてくれる。BBCの政治風刺番組へのゲスト出演をきっかけにその名が一般的に知られるようになり、「エリートなのに気さく」「笑わせてくれる」「言いたいことを言ってくれる」存在として、広い層から支持を得た。エリート層からすれば、「自分たちの仲間」だった。

 「規則は自分には当てはまらない」

 ジョンソン氏はもともと事実を誇張あるいは自分流に解釈して話すような人物だった「規則は自分には当てはまらない」と考えて、規則無視あるいは規則破りも日常茶飯事だった。それでも、「やるべき仕事を達成してくれればいい」と人々は考えた。

 しかし、与党の党首、しかも首相となれば、嘘やごまかしは許容されなくなってくる。

 就任からまもなく、保守党への献金を官邸の内装費用に流用していた。「知らなかった」「返却した」。そんな説明は、当初は大目に見られていた。

 特権的な意識による規則無視がさらに如実になったのが、いわゆる「パーティー疑惑」だった。

 ロックダウン規制下でも官邸でパーティーの数々

 2020年春、新型コロナウイルスの感染が広がった。この時、「家に留まるように。他人と集まってはいけない」という厳しい行動規制=ロックダウン=を首相は国民に課した。

 病院や高齢者施設にいる自分の家族を訪問することができなくなった。葬式も当初は不可だった。とにかく、人と集まってはいけないのである。親の死に目に会えなかった人もいた。

 そんな時、首相は官邸の庭や室内で誕生会、お別れ会、忘年会など飲酒を含むパーティーを少なくとも16回、開催し、その多くに自分も出席していたことがメディア報道で暴露された。

 首相は「コロナ規制は順守した」と繰り返し答弁した。「あれはパーティーではなく、仕事の集まりだった」。

 批判の高まりを受けて、首相は高級官僚に調査を依頼。今年4月、調査を担当した官僚は「仕事の集まりとして正当化できない」と結論付けた。ロンドン警視庁が捜査に乗り出し、5月、首相、スナク財務相(当時)、複数の官僚らがコロナ規制違反で罰金を科された。

 とどめを刺したピンチャー事件

 パーティーを「仕事の集まりだ」と説明し続けたジョンソン首相の弁明に「嫌気がさした」と長年の補助役が官邸を去っていったものの、6月上旬、保守党議員らが党首不信任案を提出したが、否決されてしまう。

 2019年12月の総選挙はジョンソン人気が大いに効を奏し、保守党は議席数を大幅に増やしていた。最大野党労働党の牙城と言われた地域の議席も獲得した。国民に人気があるジョンソン首相がいなくなれば、「総選挙に負ける」と考えた与党議員が多かった。

 しかし、6月末、2カ所の補欠選挙で、保守党は負けた。ジョンソン氏の選挙に勝利する力に陰りが見えた後で、大事件が発生する。

 院内副幹事長のクリス・ピンチャー議員が突如辞任したのである。「前夜、酒に酔って恥ずかしい行為をしてしまった」という。私的クラブで男性客らの身体を触ったのである。

 ピンチャーをこの職に任命したのは、ジョンソン首相だ。「知らなかった」と首相は説明した。しかし、その後の報道で、ピンチャー議員が同様の痴漢行為を行い、2017年以降、党内で調査が行われていたことが発覚する。

 「特定の行為について、知らなかった」。今度はこのように首相は説明した。同時に、パーティー疑惑の時のように閣僚らはメディア出演し、「首相は知らなかった」などと弁護に懸命となった。

 ところが、首相が外相時代、ある官僚がピンチャー議員の事情を直接報告していたことを暴露し、首相の嘘が明確になった。首相は「今になって思えば、副幹事長職を与えるべきではなかった」と謝罪した。首相の信頼感は地に落ちた。

 7月5日、ジャビド保健相が辞任した。その数分後、今度は首相の片腕的存在のスナク財務相も辞任。その後も次々と辞任が相次いだ。首相は後任を任命したが、今度は新大臣がさらに辞任。別の新大臣に「もう終わりだ」と印籠を渡され、7日昼の党首辞任の意向表明会見となった。48時間のクーデターである。

 党首選

 党首選は、まず保守党議員らの中で候補者を絞り込む形で数回の投票を繰り返す。2人まで絞られた段階で、全国に約16万人とされる保守党員が投票し、その結果で党首を選ぶ。

 最後に残った2人は、元財務相のリシ・スナク氏(42歳)と外相のリズ・トラス氏(47歳)。


スナク元財務相(英財務省 / flickr)


ワシントン訪問中のトラス外相(英外務省 / flickr)

 インド系で医師の父と薬剤師の母との間に生まれたスナク氏は金融界でキャリアを築いた後、2015年に初当選。英国の欧州連合からの離脱を支持し、39歳で内閣の事実上のナンバー2とされる財務相に抜擢された。新型コロナウイルスに苦しむ国民を助けるため、大型支援策を繰り出して人気を得た。

 一方のトラス氏は両親が労働党支持者。エネルギー大手シェルなどに勤務後、2010年に初当選。複数の閣僚経験がある。元々はEU残留派で、離脱支持に転向した。最後までジョンソン首相に忠実で、離脱合意を巡っての対EUへの強硬姿勢、ウクライナ侵攻をしたロシアへの制裁強化を主導するなど、「強い女性指導者」の顔を見せており、マーガレット・サッチャー首相(在職1979年~1990年)の再来というイメージを狙う。

 スナク氏とトラス氏は7月末から、各地で保守党員らの集会を開き、支持を訴えている。

 党首選の最大の争点は、記録的なインフレによる生活への影響に対処する経済対策だ。トラス氏は首相就任後、直ちに減税を実施して経済を活性化させると宣言しているが、スナク氏は裏付けのない減税は「負債を増やすだけ」と反対だ。「インフレが落ち着いてから次第に減税。今は増税の時期」としている。ただ、同氏は生活困窮者を支援するための追加の支援策実施の可能性については否定していない。

 決選投票に至る絞り込み投票ではスナク氏がほかの候補者を大きく引き離していたが、保守党員を対象にした調査ではトラス氏支持が62%、スナク氏支持が38%と逆転した(「ユーガブ」による)。未だ党内では人気が高いジョンソン首相を「裏切った人物」という見方が強いことを示した。

 7月25日夜、初の1対1のテレビ討論(BBC)が行われた。直後の「オピニウム」による調査では、一般市民の39%がスナク氏が議論に勝ったと評価し、トラス氏は38%と僅差だった。しかし、調査対象を保守党員に限ると、47%がトラス氏の勝利と答えたのに対し、スナク氏の方は38%。やはり裏切り者という印象が強いのか。

 ツイッターで反応を拾ってみると、経済の知識が豊富なスナク氏の議論に「説得力があった」とする一方で、減税の原資を十分に説明できなかったトラス氏の議論は「物足りない」という意見が目についた。

 ただ、トラス氏の発言を何度も遮り、とうとうと経済の知識を披露するスナク氏は「女性の意見に侮蔑的態度を取る男性」という英社会では問題視される姿を見せ、「嫌な面が出た」と指摘する声も少なくなかった。

 筆者が見たところでは、確かに論理だけ追えば、スナク氏の一時的増税策はまっとうなように聞こえた。しかし、スナク氏のように私立のエリート校ではなく公立の学校に通った自分には置き去りにされた人々の苦しみが分かると訴えたトラス氏は、例えその経済政策につじつまが合わない部分があっても、自分の言葉で語っており、心に強く響いてきた。

 ジョンソン首相のような個人的なアピール力が強い政治家を求める今の保守党員は、頭よりも心に訴えかける人物を最後には選ぶのではないか。


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