『 カラオケ 』

テレビ屋 関口 宏
最近、仲間達と一杯やるのに、カラオケがある店に行くことが多くなり、下手な歌をうたう機会が増えました。しかし私のカラオケとの付き合いは相当長い歴史があるのです。
たしか私がカラオケの存在を知ったのは、シングルレコード(45回転)のB面に、歌抜きのA面と同じ曲が入っているレコードが作られた話を聞いた時でした。「上手いことを考える人がいるなぁ。素人でも、プロの演奏で歌ってみたいと思っている人は沢山いるはず。」と感心させられたのが学生時代。60年ほど前の話です。
それからこの業界で仕事を始めて、本物の「カラオケ」なるものの存在を知ることになります。
歌手の方が出られて歌われる番組に、生バンドが入れられない時、演奏だけが録音されたテープを使う手法が取り入れられた時でした。
ちなみに、「カラオケ」という言葉は、「ナマオケ」という言葉に対する言葉として使われ出したと思われます。
「ナマオケ」とは「生」のオーケストラ。「生演奏」のことを言っていたのですが、対する「カラオケ」の「カラ」は、肝心の歌手の声とか、メロディーパートが入っていない「空(カラ)」のテープ類を意味する言葉だったのでしょう。
当時のこんな話が残っています。
新人のマネージャーが、初めて担当歌手の仕事に就いたとき、ベテランの先輩から、「明日、カラオケ、忘れるんじゃないぞ!」と言われ、翌日仕事の現場に、「風呂おけ」を持って現れたそうです。
まだ「カラオケ」なるものが常識になっていなかった時代だからの笑い話ですが、その後「カラオケ用品」が次々登場する時代になります。
思い出される懐かしい物に、「8トラック・カートリッジ」なるものがありました。プラスチックの小さな薄い箱のようなものを、ガチャッと機械に差し込むと、エンドレスのテープが回りはじめ、いわゆる「カラオケ」が鳴り出します。でもそれだけ。つまり今のように音質を変えたり、キーチェンジャーなんてものもなく、肝心の歌詞などが出る画面もありません。だから気に入る人がいなければそれまで。しかも曲数も少ないため、それほどの流行にはなりませんでした。
またカセットテープの頭出し機能を使ったカラオケもありましたが、これもそれほどのブームにはなりませんでした。
8トラックカートリッジ(Wikipediaより)
そこに「レーザーディスク」が登場。これが夜の盛り場をガラリと変えました。
音はいい、絵もついてくる、キーだってお好み次第。好きな人がマイクを離さない揉め事も起こりましたが、それだけ歌好きには堪らない夢のマシーンが登場したのです。これで日本中が大カラオケブームになりました。はじめは嫌がったり恥ずかしがったりしていた人も、歌える快感を知り、それは海を越えて韓国、台湾、東南アジア、さらにはアメリカ、ヨーロッパにまで広がったのです。
しかしこの「レーザーディスク・カラオケ」にも大きな欠点があることに、やがて人々は気づくことになります。それは、「増える一方」の厄介者だった、ということ。つまり、曲目が増えるということは、レーザーディスクが増えること。レーザーディスクが増えるということは、冷蔵庫ほどの大きな機械を増やさなければならないこと。それでなくても狭い店の中に,そんな機械を何台も置けない欠点に気付いたのです。
でも、そこでくたばる「カラオケ」ではありませんでした。
「窮すれば通ず」の例え通り、次なるヒーロー、決定版が登場しました。それが、今全盛と思える皆様ご存じの「通信カラオケ」。
壁にモ二ターがかけられればOK。通信で送られてくる楽曲は、ほぼ古今東西をカバーしていて、新曲も続々。つくづく良く出来たシステムだと感心させられてしまいます。
ただ気になる大きな問題があります。
それはテレビ・ラジオのどんな歌番組の担当者でも、悩まされているだろう「歌の年代ギャップ」。
いつの間にか歌というものが、世代によって好みが違ってしまったようです。
若い世代が大声を張り上げて歌い始めると年配者はポカーン。年配者が力みながら唸りだすと若い世代はドッチラケ。双方理解が及ばない現象が日々深まっているように思われます。
老いも若きもひとつになって、みんなで歌える唄が、「今」という時代に無い淋しさは深刻です。
音楽関係の皆様。是非頑張ってこのテーマに挑んで頂きたいと願っています。
テレビ屋 関口 宏
たしか私がカラオケの存在を知ったのは、シングルレコード(45回転)のB面に、歌抜きのA面と同じ曲が入っているレコードが作られた話を聞いた時でした。「上手いことを考える人がいるなぁ。素人でも、プロの演奏で歌ってみたいと思っている人は沢山いるはず。」と感心させられたのが学生時代。60年ほど前の話です。
それからこの業界で仕事を始めて、本物の「カラオケ」なるものの存在を知ることになります。
歌手の方が出られて歌われる番組に、生バンドが入れられない時、演奏だけが録音されたテープを使う手法が取り入れられた時でした。
ちなみに、「カラオケ」という言葉は、「ナマオケ」という言葉に対する言葉として使われ出したと思われます。
「ナマオケ」とは「生」のオーケストラ。「生演奏」のことを言っていたのですが、対する「カラオケ」の「カラ」は、肝心の歌手の声とか、メロディーパートが入っていない「空(カラ)」のテープ類を意味する言葉だったのでしょう。
当時のこんな話が残っています。
新人のマネージャーが、初めて担当歌手の仕事に就いたとき、ベテランの先輩から、「明日、カラオケ、忘れるんじゃないぞ!」と言われ、翌日仕事の現場に、「風呂おけ」を持って現れたそうです。
まだ「カラオケ」なるものが常識になっていなかった時代だからの笑い話ですが、その後「カラオケ用品」が次々登場する時代になります。
思い出される懐かしい物に、「8トラック・カートリッジ」なるものがありました。プラスチックの小さな薄い箱のようなものを、ガチャッと機械に差し込むと、エンドレスのテープが回りはじめ、いわゆる「カラオケ」が鳴り出します。でもそれだけ。つまり今のように音質を変えたり、キーチェンジャーなんてものもなく、肝心の歌詞などが出る画面もありません。だから気に入る人がいなければそれまで。しかも曲数も少ないため、それほどの流行にはなりませんでした。
またカセットテープの頭出し機能を使ったカラオケもありましたが、これもそれほどのブームにはなりませんでした。

8トラックカートリッジ(Wikipediaより)
そこに「レーザーディスク」が登場。これが夜の盛り場をガラリと変えました。
音はいい、絵もついてくる、キーだってお好み次第。好きな人がマイクを離さない揉め事も起こりましたが、それだけ歌好きには堪らない夢のマシーンが登場したのです。これで日本中が大カラオケブームになりました。はじめは嫌がったり恥ずかしがったりしていた人も、歌える快感を知り、それは海を越えて韓国、台湾、東南アジア、さらにはアメリカ、ヨーロッパにまで広がったのです。
しかしこの「レーザーディスク・カラオケ」にも大きな欠点があることに、やがて人々は気づくことになります。それは、「増える一方」の厄介者だった、ということ。つまり、曲目が増えるということは、レーザーディスクが増えること。レーザーディスクが増えるということは、冷蔵庫ほどの大きな機械を増やさなければならないこと。それでなくても狭い店の中に,そんな機械を何台も置けない欠点に気付いたのです。
でも、そこでくたばる「カラオケ」ではありませんでした。
「窮すれば通ず」の例え通り、次なるヒーロー、決定版が登場しました。それが、今全盛と思える皆様ご存じの「通信カラオケ」。
壁にモ二ターがかけられればOK。通信で送られてくる楽曲は、ほぼ古今東西をカバーしていて、新曲も続々。つくづく良く出来たシステムだと感心させられてしまいます。

ただ気になる大きな問題があります。
それはテレビ・ラジオのどんな歌番組の担当者でも、悩まされているだろう「歌の年代ギャップ」。
いつの間にか歌というものが、世代によって好みが違ってしまったようです。
若い世代が大声を張り上げて歌い始めると年配者はポカーン。年配者が力みながら唸りだすと若い世代はドッチラケ。双方理解が及ばない現象が日々深まっているように思われます。
老いも若きもひとつになって、みんなで歌える唄が、「今」という時代に無い淋しさは深刻です。
音楽関係の皆様。是非頑張ってこのテーマに挑んで頂きたいと願っています。
テレビ屋 関口 宏