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『 昭和100年 』

テレビ屋 関口 宏

 2025年(令和7年)になりました。
今年は暦の上での大きな括りが、話題になると思われます。
 
先ずはあの戦争終結の年から80年。
「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び・・・・・」の玉音放送(天皇の肉声によって、敗戦を伝えたラジオ放送)が流されたのが80年前・1945年の8月15日。
 そしてそれが昭和20年のことでしたから、昭和のままで数えるなら、今年は昭和100年になるのです。 
   
 この「昭和」という時代をどう捉えるか。それは様々な意見があろうかとも思われますが、とにかく「激動」という表現がピタッ!とくるような気がします。
 
 「昭和」は、戦時色真只中に始まりました。大日本帝国は中国に攻め入り、満州をも手中にせんと画策していました。しかしそれは世界の反発を招き、引き下がる訳には行かぬ大日本帝国は、「国連」を脱退。遂にはアメリカ中心の連合国を敵に回して、第2次世界大戦に突入して行きました。
 
 そして昭和20年。沖縄の地上戦、本土の大空襲、広島・長崎の原爆を経て、「玉音放送」に至りました。
 


ちなみに 今年はラジオ放送開始から100年になるのだそうで、日本のラジオは昭和とともにスタートしたのでした。
しかし当初のラジオは、日本の軍部に操られ、「大本営発表!」「大本営発表!」の勇ましい情報をつたえるだけで、日本人の戦意高揚に利用された面が強かったようです。
 
歴史をもう少し遡ってみましょう。
江戸時代末期、欧米列強に遅れをとった我が国は、必死に追いつこうとして明治維新を経験します。 その目標とされた「富国強兵」は効果を上げ、日清・日露の戦争によって欧米列強に並んだかに見えたのもつかの間、「富国強兵」は、ほぼ80年たらずで(明治は45年、大正は15年。そこに昭和の20年を加えたもの)、焼け野原になったのです。
 
 そして敗戦国・日本は、GHQ・マッカーサー指導の下、軍事主義が中心だった国家はは解体され、民主主義国家を目指して再出発。しかしゼロからのスタートは30数年で経済大国へと変貌。「Japanアズ NO1」ともてはやされたのが1980年頃でした。
 
 やや手前味噌的な見方になりますが、我々日本人の秘めたエネルギーは、集中すると大きな力になるようで、世界に遅れをとった明治維新からも、日清・日露の軍事的なものではありますが、30数年で世界と肩を並べるまでになっています。
 
 さて、暦上の括りではありますが、戦後80年、昭和100年になる前年つまり昨年、「日本被団協」(日本原水爆被害者団体協議会)が、ノーベル平和賞を受賞したニュースは良かったと思います。
世界唯一の被爆国・日本で、核兵器廃絶を訴え続けている人々の努力が、報われた形になりました。

Jørgen Watne Frydnes awarding Terumi Tanaka, Shigemitsu Tanaka, and Toshiyuki Mimaki the Nobel Peace Prize at the 2024 Nobel Peace Prize Ceremony at Oslo City Hall in Oslo, Norway

 
 しかし、日本政府は未だに核兵器禁止条約を批准していません。それはもちろん同盟国アメリカが核保有国であるからで、そこには大きな矛盾が横たわっています。
 
 時には、戦後の日本の驚異的な経済発展も、そのアメリカの「核の傘の下」だったからできたことだと言われてしまいます。確かにそうした一面があったと思われます。
 
 しかし戦後80年・昭和100年の今年、こうしたことも真剣に考えてみる必要があると思われます。
 

     テレビ屋   関口 宏

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