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「先に行くよ」「お母ちゃん」

 独立メディア塾 編集部

 1945年8月6日に広島、そして9日に長崎に原爆が投下。死を目前にした中学一年生が国粋主義にまみれた和歌を口にし、「お母ちゃん」と絶叫する。様々な記録や文学作品が残されている。『いしぶみ 広島二中一年生全滅の記録』(広島テレビ放送編)から。

 川の中、みんなで和歌を歌う

 広島市内を流れる本川(ほんかわ)に飛び込んだ当時12,13歳の生徒たちの絶叫ともいえる言葉。
 高田文洋(たかだふみひろ)くん。
「みんなで、みたみわれ、生けるしるしありあめつちの、しこのみたてといでたつわれは、と和歌をうたいお母ちゃん、お母ちゃん、と叫びました」

 「お母ちゃん」と並んで歌った和歌はどんな和歌なのか。万葉集に次の和歌がある。「私の万葉集二」(大岡信)から現代語訳を含めて引用する。
「御民我(みたみわれ) 生けるしるしあり 天地(あめつち)の 栄ゆる時に あへらく思へば(万6-996)」=海犬養岡麻呂(あまのいぬかいのおかまろ)
 (天皇の御民である私は、まことに生きがいを感じております。天も地も一体となって栄えているこの御代に生まれ合わせたことを思いますと)

 「海ゆかば」「君が代」「万歳」…「お母ちゃん」

 高田さんに続く仲間の言葉。
  一学級の古川喜佐登くん。
  「川の中で、手をつないで“海ゆかば”をうたいました。」
  三戸一則くん。
  四学級の浜内茂樹くん。
  「泳ぎのできない友人が、“ぼくらは先に行くよ”といって万歳をさけんで川下に流れていきました。みんなお母ちゃん、お母ちゃんと大声でいっていた」
 「海ゆかば」は1937年に「国民精神総動員強調週間」を制定した際のテーマ曲だ。

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