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「夕焼け、小焼けの あかとんぼ」

 独立メディア塾 編集部

 三木露風(1889年=明治22年6月23日~ 1964年12月29日)が作詞した童謡「赤とんぼ」の冒頭。1921年に発表した童謡集「真珠島」に収録し、山田耕作が作曲した。三木は日本を代表する詩人、童謡作家、歌人、随筆家。カトリックの洗礼を受け、キリスト教の信仰に基づく詩集や随筆などを著し、宗教色を強めていった。タクシーにはねられ75歳で死亡。
 「赤とんぼ」は 1989年(平成元年)に「『日本のうた・ふるさとのうた』全国実行委員会」がNHKを通じて全国アンケートをしたところ「あなたが選ぶ日本のうた・ふるさとのうた」で第1位を獲得した。
山田耕作(1886年=明治19年6月9日~2065年12月29日)は、日本の作曲家、指揮者。

 「追われて見た」のではないよ

 三木露風の故郷である兵庫県揖保郡龍野町(現:たつの市)で過ごした幼少期を懐かしんで作ったと言われる。三木は1918年頃から、鈴木三重吉の赤い鳥運動に参加し、童謡の作詞を手掛けた。「赤い鳥」は鈴木三重吉が創刊した童話と童謡の児童雑誌。1918年7月1日創刊、1936年8月廃刊。子供のための話・歌を創作し世に広める運動を宣言し『赤い鳥』を発刊した。
 戦争の臭いがしない「赤とんぼ」のような童謡がある半面、第二次大戦が激化するに伴い、山田を含め多くの音楽関係者が軍歌の作曲・作詞などに関わり、後に責任を問われることになった。

「赤とんぼ」の全文
 夕焼、小焼の、
 あかとんぼ、
 負われて見たのは、
 いつの日か。
 山の畑の、
 桑の実を、
 小籠(こかご)に、つんだは、
 まぼろしか。

 十五で、姐(ねえ)やは、
 嫁にゆき、
 お里の、たよりも、
 たえはてた。

 夕やけ、小やけの、
 赤とんぼ。
 とまっているよ、
 竿(さお)の先。

 「おわれて」は「追われて」ではなく「負われて」。背中や肩に「背負われて」ということ。背負っているのは「姐や(ねえや)」であり、「姉さん」ではない。「姐や」は当時、子守として雇われていた少女のこと。結婚も今より早かった。

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