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ウクライナ戦争の衝撃

在英ジャーナリスト  小林 恭子

 「まさか、こんなことが欧州で発生するとは」。2月24日、ロシア軍によるウクライナ侵攻は、筆者を含む欧州在住者にひときわ大きな驚きと衝撃を与えた。

 欧州内での戦争は第2次世界大戦(1939-1945年)で終わった「はず」だからだ。

 実はそうではなく、1990年代には旧ユーゴスラビアの解体に伴いボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が起き、1995年末、和平協定が調印されるまでに死者約20万人、難民250万人が出ている。

 となると、数千万人規模の死者を出した第2次大戦後、戦争はもう欧州では発生しないだろうという認識は、単に現実を直視していなかっただけかあるいは幻想だったのか。

 「欧州社会」とは、「平和と調和、民主主義と人権」が確保され、さらには「報道・言論の自由が保障」されている場所であったはずだ。前者は欧州連合(EU)が2012年にノーベル平和賞を授与されたときの理由でもあった。

 「平和・民主主義・人権・言論の自由」はセットになっており、この原理原則から逸脱する事態が生じれば、あらゆる手段を講じてこれを修正しようとする動きが出る。

 ロシアによるウクライナへの攻撃は、こうした原理原則をひっくり返すもので、欧州に住む人の価値観や存在を根底から崩すような行動であった。

 破壊されたウクライナの建物、爆撃音、サイレンの音、ウクライナから国外に避難する人々で一杯の道路、鉄道駅、混雑した一時退避場所、地下で生活する人々の様子。現地からのニュースを欧州に住む私たちは食い入るように視聴してきた。

 見れば見るほど気持ちは落ち込む。しかし、ニュースを追わずにはいられない。「わが欧州で」起きている戦争なのだから。

 隣人の一人で、ドイツ出身のレナータさん。「昼間はニュースに触れないようにしている。あまりにも胸が痛み、気が沈むから」という。報道を見るのは夕方から。「自分が大したことができないのが、つらい」。

 ポーランドは避難民を歓迎

 筆者は3月中旬、ポーランド北部の港湾都市グダニスクを訪れる機会があった。ポーランドはウクライナの隣国の1つで、侵攻開始から1か月で、約200万人のウクライナ避難民を受け入れてきた。ポーランドの人口は約3800万人で以前からポーランドに住んでいるウクライナ人は約100万人と推定されている。これが300万人に増えることになる。


ポーランド・グダニスクで手にした、ウクライナ市民支援のバッジ

 グダニスク市内を歩くと、あちこちに青色と黄色のウクライナ国旗をモチーフにした飾りやポスターが設置されている。市中を走る路面電車の上部には赤白2色のポーランド国旗とウクライナ国旗とが括りつけられていた。

 近隣の駅の構内にはウクライナ避難民のための情報コーナーが設けられていた。

 昨年末、ベラルーシのルカシェンコ政権がEUへの嫌がらせ措置としてEU加盟国ポーランドとの国境に難民たちを移動させた。この時、ポーランド当局は難民たちを押し返し、行き場を失った人々が森の中に一時退避する姿がテレビの画面を通して、世界中に紹介された。

 しかし、今回のウクライナ市民の受け入れでは姿勢がガラリと変わった。国と国民が一丸となって、避難民を歓迎している。


ウクライナ支援のための行進デモに参加した人々



ウクライナ支援のための行進デモに参加した女性

 自分には何ができるのか

 ウクライナ危機を解決するため、あるいはいくらかでもウクライナ市民を助けるために、自分は何ができるのか?英国では、一人一人が考え始めるようになっている。

 テレビのニュース番組は、国防義勇予備軍の一員として軍務経験がある若者たちがウクライナに向かっている姿を映し出す。レナータさんはウクライナ市民の受け入れを家族と検討しているという。

 ウクライナ市民の英国での受け入れを加速させるためのイベントがロンドン市内で開催され、会場に行って驚いたのが、ポーランドとウクライナの国境まで行った体験を話していたのが、親戚の男性だったことだ。裕福なビジネスマンとして知られる人物だ。

 「どうしてあなたがやっているの?」と聞くと、「こんな時は、何かやらなきゃね」という返事が返ってきた。

 3月26日、ロンドンではウクライナ市民支援のためのデモ行進が行われた。ロンドン市長サディク・カーン氏の発案である。

 筆者も青色と黄色でコーディネートした洋服を着て、手には紙製のウクライナの国旗を持ち、行進に参加した。集合場所はロンドン中心部パークレーンで、トラファルガー広場まで歩いた。参加者は数千人に達したという。

 トラファルガー広場では政治家、女優、市民活動家が演台に立ち、広場に集まった在英のウクライナ市民及び世界中のウクライナ市民に向かって、激励の言葉を発した。ジョン・レノンの妻オノ・ヨーコさんのメッセージも読み上げられた。

 ジョンが歌う「平和を我等に(Give Peace a Chance)」を全員で歌い、旗を振った。

 家までの帰り道で、筆者は複雑な思いがした。様々な激励や支援は「暴力行為を受けた後で、傷を治療する」ようなことなのではないか、という疑問が頭から消えなかったからだ。

 まず、暴力行為を止めることが先ではないか。もちろん、簡単に止められるものならとっくに誰かがそうしているのだが。

 行進イベントがあった同じ日に、ポーランドを訪れたバイデン米大統領は、北大西洋条約機構(NATO)加盟国のポーランドとの結束を強調し、「ロシアは、NATO加盟国の領土を一寸たりとも攻撃しようなどとは決して考えてはならない」と警告を発した。

 ウクライナはNATO加盟国ではなく、EU加盟国でさえない。

 NATOも米国もウクライナでの実戦参加を否定している。

 NATOはウクライナ政府が求める、ウクライナ上空での「飛行禁止区域(ノーフライゾーン)」の設定も拒否している。飛行禁止区域を設けることは、敵機が区域内に侵入してきた場合、これを撃退することを意味する。NATOはこれがきっかけとなって、プーチン政権が化学兵器や核兵器を使うことを選択する、あるいは「第3次世界大戦」が勃発することを避けたいのだ。

 「NATO加盟国ではない」という理由で、今、この瞬間に攻撃されている人を間接的にしか助けられないという現実をどう解釈したらいいのだろう。筆者は、NATOによる飛行禁止区域設定の危険性やより多くの犠牲者が出る可能性を理解しているつもりだが、それでも納得がいかない。

 国連はどうか?安全保障常任理事国にロシアが入っている限り、平和維持隊の派遣は難しいと言われている。しかし、このような武力攻撃をする国が常任理事国であり続けていいのだろうか?

 どうしようもないもどかしさの中で、ロンドンに住む人たちは、せめて「自分ができること」をしようとしているのかもしれない。

 ロシアによるウクライナ侵攻で、国際政治の力学が変わりつつあるが、それと同時に、欧州社会で「当たり前」と思われてきた「平和・民主主義・人権・言論の自由」の原理原則が侵害され、建物・都市が破壊され、人が殺傷されている現実を前にして、欧州の政治家たちは「不当な国家レベルの殺傷を今すぐ止める」ことができないことが明白になった。これが今の欧州の現実だ。民主的に事を進め、リスクをエスカレートさせない道を選ぶしかないからだ。

 国際社会からの批判をものともしない強権政治家からすると、御しやすい相手かもしれない。

 欧州に住む一人として、非常に不安な、怖い状況である。

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