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前77年・後77年

テレビ屋 関口 宏

 『77』 今年の夏はこの数字が印象的に語られました。

 8月15日の炎天下、「玉音放送」がラジオから流され、国民が敗戦を知らされてから77年がたったのです。
 私は2歳でしたからその記憶はありませんが、幼い時期は終戦後の焼け跡が遊び場でした。そしてその戦争で、ご主人や息子さんを亡くされた方々のお話を聞かされて育ちました。皆さん、「二度と戦争を起こしてくれるな」と仰っていましたが、その方達もほとんど他界され、77年はあの戦争の記憶の風化が心配される中、今年はロシアのウクライナ侵攻があって、「戦争」そのものを考え直す不思議な年になりました。


空襲により焦土と化した東京
http://www.ne.jp/asahi/k/m/kusyu/kuusyu.html
Date=1945/3/10 | Author=米軍撮影
Category:Bombing of Tokyo 1945

 そして『77』にはもう一つ、こんな意味合いもあつたのです。

「明治維新からあの玉音放送までが77年だった」。

 つまり鎖国状態だった日本という国が、欧米列強の圧力を跳ね除けんとして取り掛かった新国家建設。大久保利通、岩倉具視、木戸孝允、西郷隆盛。伊藤博文たちが中心になって、「富国強兵」を合言葉に、急ピッチで日本の近代化が始まりました。
 しかしすぐに挙国一致というわけにはいかず、内戦状態になった「戊辰戦争」、そして西郷隆盛を担いだ反政府軍と新政府軍が戦った「西南戦争」を経て、新政府の関心は外へ外へと向かいます。

 その先に起こったのが「日清戦争」「日露戦争」、さらには「第一次世界大戦」にも参加して勢いを増した「新日本帝国」。そして「日中戦争」「太平洋戦争」へと突き進んだ結果は大敗北となり、日本中は瓦礫だらけの廃墟と化しました。

 新国家建設から廃墟に至るまでが『77年』。今考えれば、何と呆気ないことか。理想を求め力を結集して建国した新国家の夢は、たった77年で破れてしまったのです。

 つまり、玉音放送から77年経った今年だから、玉音放送までの77年にも意味を感じられるのかもしれないのですが・・・・・。

 しかし戦争、戦争に明け暮れた前77年と、戦争には直接的には手を染めなかった後77年の我々日本人。後の77年には、日米同盟、新憲法、その他様々な要因が考えられるものの、対照的な結果を残した前後2つの『77年』の不思議は一体何なのでしょう。


現在の東京

 この「前77年」、「後77年」という見方をするなら、来年からは新しい年に入ることになります。
 周辺の国や地域を見渡せば、後77年の間に大きく変化しました。中国、韓国、北朝鮮、ロシア、台湾・・・・・。

 果たして我が日本は、今後どのような歩みを進めてゆくのでしょうか。


 テレビ屋  関口 宏

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