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ルガンスクとドネツクは偽装国家だ
ークレムリンを激怒させたトカエフ・カザフスタン大統領の実力ー

元テレビ朝日モスクワ支局長 武隈 喜一

 サンクトペテルブルグで開かれたロシア政府主催の国際経済フォーラムで、6月17日、プーチン大統領は、欧米の経済制裁は完全な失敗で、燃料や食糧の高騰を招いただけであって、西側各国の経済の墓穴を掘っていると強気の発言に終始した。
 そのフォーラムの檀上で、プーチン大統領の横に座り、満員の聴衆の視線を浴びる中、悠然と「われわれはルガンスク人民共和国もドネツク人民共和国も認めない」と言った政治家がいた。中央アジア、カザフスタンのカッシム・ジョマルト・トカエフ大統領だ。
 トカエフ大統領はウクライナ問題でのカザフスタンの見解をこう述べた――今日の国際法はまず国連憲章である。しかし国連憲章の中の2つの原則が矛盾に陥っている。主権国家の不可侵な領土の一体性と、個々の民族の自決権という原則だ――そしてこう言い放った。
 「もしも民族自決権がすべてこの地球上で実現したら、いま国連に加盟する193カ国のかわりに、500や600を超える国が生まれることになる。もちろんそうなればカオス(混沌)だ。この理由によって、われわれは台湾もコソボも南オセチアもアブハジアも承認しない。この原則によって、われわれは偽装国家を承認しない。ルガンスクとドネツクのことだ」。
 この発言に、プーチン大統領は激怒したと伝えられている。プーチン大統領を前にして、ルガンスクとドネツクを「偽装国家」と呼び、「承認しない」と言い切るトカエフ大統領とはどのような人物なのだろうか。

 改革の中国をつぶさに観察

 カッシム・ジョマルト・トカエフ氏は1953年、当時のカザフの首都アルマアタ生まれの69歳。プーチン大統領と同じ世代だ。しかしプーチンとは対照的に、トカエフは外交エリートの道を歩んだ。
 17歳でソ連外交官の登竜門、モスクワ国際関係大学に入学し、在学中に在北京ソ連大使館で半年間外交官の実習をしている。ソ連外務省入省後はシンガポール大使館に勤務。1983年には北京言語大学に10カ月間語学留学している。そして一度モスクワの本省に戻った後、1991年まで北京のモスクワ大使館に勤務した。
 つまり、トカエフ氏は、中国問題の専門家であるだけでなく、5、6年の間、改革開放の中国を外交官としてつぶさに観察し、天安門事件をも見ていることになる。
 ソ連崩壊後の1994年には41歳で祖国カザフスタンの外相に就任している。ウラジーミル・プーチンがまだペテルブルグでくすぶっていた時代だ。
 トカエフ氏は1999年にはカザフの首相になり、2002年に首相を辞任した後、国家書記として2007年まで再度外相を務めた。
 さらにカザフ上院議長を経て2011年には国連事務次長に任命され、ジュネーブとニューヨークで軍縮を担当した。中国が主体となって創設された上海協力機構の議長を務めた実績もある。
 そして2019年3月、ナザルバエフ前大統領の禅譲によってカザフスタンの大統領となった。

 「一帯一路」に舵を切ったのか

 このようにトカエフ大統領は国連事務次長まで務めた経験豊かな外交官であり、国際法のプロでもある。母語のカザフ語、ロシア語はもちろん、英語、フランス語、そして中国語にも堪能だ。トカエフ氏は習近平主席をはじめとする中国の要人らと中国語で通訳なしで会話をこなすという。
 今回の経済フォーラムでも、ウクライナ問題への発言について老練な外交官出身の大統領としては、もっと曖昧な言い回しもできたはずだ。しかし、あえてプーチン大統領の目の前で、「われわれは台湾もコソボも南オセチアもアブハジアも承認しない」と、真っ先に台湾の名を挙げたことは、この発言がプーチンだけにではなく、中国に向けられたものでもあることを物語っている。
 台湾の問題が、南オセチアやルガンスクの問題と同列に論じることができない問題であることを十分理解したうえでのしたたかな発言だ。習近平主席もこのフォーラムにはビデオメッセージを寄せ、制裁反対の立場を鮮明にしているだけに、トカエフ氏は中ロの微妙な政治力学を利用して存在感を見せたと言える。
 一方、今年1月には、液化天然ガスの値上げ反対に端を発したカザフ国内の騒擾に際し、ロシア軍を主力とする、ベラルーシ、アルメニア、キルギス、タジクからなる安全保障条約機構(CSTO)軍の投入をトカレフ大統領が要請した経緯もあり、カザフスタンの安全保障は今まで以上にロシアに依存せざるをえなくなるだろうと見られていた。その中での今回の発言だっただけに、事前に中国側と何らかのすり合わせがあったと見る向きもある。しかし、中国の新疆ウイグル自治区と長い国境を接するカザフスタンと中国の間には、民族問題など複雑な不安定要素も数多く存在する。
 長期政権で汚職構造を作り上げたナザルバエフ前大統領の影響力を削ぎ、二重権力状態を解消して実権を握ったトカエフ氏が、果たして、「一帯一路」の建設を協力して進める中国へと舵を切ったのか、発言の真意が注目されている。

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