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「広島と長崎で五輪が実現すれば素晴らしい」

 独立メディア塾 編集部

 坂井義則(1945年8月6日 ~2014年9月10日)は1964年10月10日の東京五輪開会式で聖火リレーの最終走者として聖火台に点火した。広島に原爆が投下された8月6日に生まれた「原爆の子」であり、平和への夢を背負い続けた一生だった。

 前回の東京五輪(1964年)の開会式を見て三島由紀夫は次のように書いた。
 「開会式の頂点は、やはり聖火の入場と点火だったといえるだろう。その何気ない登場もよく、坂井(義則)君は聖火を高くかかげて、完全なフォームで走った。ここには、日本の青春の簡素なさわやかさが結晶し、彼の肢体には、権力のほてい腹や、金権のはげ頭が、どんなに逆立ちしても及ばぬところの、みずみずしい若さによる日本支配の威が見られた。この数分間だけでも、全日本は青春によって代表されたのだった。そしてそれは数分間がいいところであり、三十分もつづけば、すでにその支配は汚れる」
 (「文学者の見た世紀の祭典 東京オリンピック」から)

 坂井は64歳の時に次のように当時を振り返った。
 「日本中の人が、私が聖火を持って走る姿に平和への夢を重ねました。重荷に感じたこともありますが、その夢を壊さない義務があると感じ、機会があれば核廃絶と平和を訴えてきました」。
 聖火台までの階段が182段あることは、後になって知った。7万2千人の大観衆の歓声を受けた。
 坂井は戦争を知らない世代だ。電力会社で働いていた父親は、原爆が落ちてすぐ市内に入った。電柱の補修と、消息不明になった親族を探すためだった。「すさまじい経験だったのでしょう。そこで見たことは、家族にほとんど話さなかった」。「今になって、もっと聞いておけばよかったと後悔してます」。(2009年12月16日、朝日新聞朝刊)
 坂井が亡くなる前年、東京で再び五輪が開催されることが決まった。

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