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「戦闘はいよいよ激しさを加えている。夏空はどこまでも澄んでいる」
(戦争文学「ベトナム戦争 17度線の激戦地を行く」から)

 独立メディア塾 編集部

 戦場カメラマン沢田教一(1936年2月22日~1970年10月28日)はUPIサイゴン特派員としてベトナム戦争を取材。1970年10月28日、プノンペン近郊で襲撃され死亡した。34歳。
 (11月29日に一ノ瀬泰造9月7日に後藤健二5月27日に橋田信介各氏の言葉)

 「安全への逃避」の家族を探す

 沢田は65年9月6日 、銃弾を避けながら川を渡る母子の写真『安全への逃避』(Flee to Safety)を撮影。66年にピューリツアー賞、71年にロバート・キャパ賞を受賞した。
 『安全への逃避』を撮影してから10か月後、沢田は写真を頼りに写真に写っている2家族を探し出した。ピューリツアー賞の賞金から1年間の生活費に匹敵する金額と、沢田のサイン入り『安全への逃避』の写真を贈った。(「泥まみれの死 沢田教一ベトナム写真集」から)
冒頭の言葉が書かれている「17度線の激戦地を行く」は1967年6月18日号「サンデー毎日」に掲載。掲載1か月ほど前の5月20日の戦場記録だ。 
 5月20日、サイゴンから北へ680キロ。米軍ドンハ基地からさらに15キロ、ヘリでベンハイ橋へ。橋を挟んで南北のベトナム国旗が翻るという戦闘の最前線での取材。他の取材班が引き上げた中で海兵隊を除けば残ったのは沢田だけだった。
 「どこまでも澄んでいる夏空」に沢田は人間の虚しさと、かすかな希望を見たのだろうか。
 「私はくたくたに疲れてしまった。あまりに激しい攻撃に、頭をあげることもできない。写真をとることをあきらめた私は、地面の上にあお向けに寝ころんだ。戦闘はいよいよ激しさを加えている。夏空はどこまでも澄んでいる」


 20世紀を代表する戦場カメラマン、ロバート・キャパ(1913年10月22日~1954年5月25日)は、ハンガリー生まれ。スペイン内戦、日中戦争、第二次世界大戦、第一次中東戦争、第一次インドシナ戦争の5つの戦争を取材した。
 キャパは1954年、第一次インドシナ戦争に従軍したとき「これはおそらく最後の面白い戦争さ」と言い残した。日本に滞在していたキャパは引き止める人たちに言った。「一晩考えたが、俺の血がベトナムに従軍するのを止められないんだよ」。
 取材中に地雷に抵触し死亡した。ロバート・キャパ賞が設けられている。(「ライカでグッドバイ」青木冨貴子著から)

 米ピュリツァー賞(Pulitzer Prize)を受賞したダニッシュ・シディクイ(Danish Siddiqui)氏が21年7月16日、アフガニスタンで戦闘の取材中、死亡した。ロイターが、アフガニスタン軍司令官の話として報じた。
 ロイターによると、シディクイ氏はインド国籍で、カンダハル(Kandahar)で、アフガン軍の特殊部隊に同行していた。同氏は、ミャンマーのイスラム系少数民族ロヒンギャ(Rohingya)難民問題に関する報道で、2018年にピュリツァー賞の特集写真部門を受賞したチームの一員だった。

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