80歳、酸欠日記⑤
塾長  君和田 正夫
見逃した6時間12分
「ゆきゆきて、神軍」(1987年)で国際的に著名な原一男監督が昨年、公害病の代表、水俣病のドキュメンタリー映画「水俣曼荼羅」を公開した。6時間12分。ぜひ見たい、と思い続けていたが、問題提起型の長いドキュメンタリーを上映する映画館は少ない。あるとすれば、私が知っている範囲ではミニシアター「横浜シネマリン」だけだ。あきらめ気味に上映予定を調べると、なんと6月25日から7月1日まで再上映のスケジュールが組まれていた。しかも26日には原さんの舞台挨拶まである。
ホームページによると、ドキュメンタリーは撮影に15年、編集に5年かかった。第一部「病像論を糾す」、第二部「時の堆積」、第三部「悶え神」。しかし、なんという不幸だろう、私は見に行くことができない。酸素ボンベを持ったまま6時間もの間、見続けることはできないだろう。劇場に入ること自体が難しいかもしれない。
原監督とは私が新聞記者生活を始めたスタートラインで出会った。最初の赴任地、山口支局で60年近く前のことだ。彼は支局生活の些細なことも教えてくれた。私が全く無知だった写真について、撮り方はもとより暗い暗室の中で実際に現像して見せてくれた。私が初めて撮った「金魚売り」の写真は原さんに現像してもらったものだ。
この原稿が掲載されるときは、すでに上映は終わっている。原さんのあいさつも終わっている。私の健康が回復するころには、ぜひ再上映してほしいと「横浜シネマリン」には願わずにいられない。これまでに私が見た長時間の作品は、4時間を超える小林正樹監督のドキュメンタリー「東京裁判」だけだ。学生時代、ピンクがかった映画を上映してちょいワルの印象を与えた映画館だったが、後に「東京裁判」を見せてくれるとは思ってもいなかった。もうひと頑張りしてほしいと願う。
白黒映画の魅力
入院中の4月は映画づいていた。NHKのBSで「アパッチ砦」を見た。ジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン、ヘンリー・フォンダ、シャーリー・テンプル出演。1948年制作の「騎兵隊三部作」の第一作だ。悪役を演じるヘンリー・フォンダのいやらしさは格別だった。フォンダは1940年にジョン・スタインベックの小説の映画化「怒りの葡萄」、1946年の「荒野の決闘」、1957年の「12人の怒れる男」などの作品で名演技を披露した。「12人の怒れる男」の最終シーン、雨上がりで光る舗道をフォンダが歩いて帰る姿が忘れられない。
映画は白黒映画が圧倒的にいい。黒澤明監督のこだわりが納得できる。そのためか、色彩に満ちた映画は私たち高齢者からどんどん遠ざかっていく。
NHKのBSで「市民ケーン」を見る。1941年公開なので、私と同じ80歳だ。歴代映画史上、いつもベストワンに挙げられる作品だ。25歳だったオーソン・ウェルズが新聞王ケーンの生涯を描いた。もちろん白黒だ。
「すでに国旗の下に」
ウクライナ情勢が激しくなって「国難のときに国旗のもとにはせ参じる現象」(rally round the flag effect)がある、という説を思い出した。1970年にジョン・ミューラーという米オハイオ州立大学元教授が提唱した有名な理論だ、とどこかに書いてあったが、現物を確かめることができなかった。具体例として1991年の湾岸戦争で米国のブッシュ大統領(親)の支持率が59%から89%に上がり、2001年9月1日の同時多発テロ事件では息子のブッシュ大統領の支持率が50%から90%へ40ポイントも上がったと紹介されていた。本当なら今、世界の指導者全員が待ち望んでいることではないか。
しかし、この理論は単純に言えば世論と同じだろう。難しく言い換えようと思うと、同調圧力だったり 集団思考だったり、 集団決定だったり、 集団行動だったり、になっていく。しかし言い換える必要もなく、我々はすでに「旗のもと」に馳せ参じてしまっている。兵器についてはよくわからないと言っているくせに「防衛費を国民総生産(GDP)の2%」は国民の常識のようになっている。
「防衛力強化」にも副作用
薬は効くほど副作用も強く多様らしい。血糖値の上昇、血栓症、ムーンフェース、動脈硬化、高血圧…。私もムーンフェースになったが、マスクのおかげで、かろうじて隠れている。副作用って防衛にも付きまといそうだ。「核の共有」ってなんだ。借り物の衣装で核武装するってことだろう。これに「反撃能力」を付けたら危なくなりそうな臭いが漂う。5月27日、自民党の国家安全保障調査会が反撃能力とGDP2%の防衛費を提言した。予算をどのように確保するのだろう。自衛隊員をどう集めるのだろう。防衛力を強化しても「市民を攻めることはしない」といった自民党議員がいるらしいが、それを守れないのが戦争だ。
4月18日、妻から電話。私より5歳上の兄がおかしいという。四半世紀前の1997年、延命措置を断った母との別れを思い出しながら「延命しなくていい」と伝えた。4月27日、兄死亡。肺炎。5月2日出棺し、3日に葬儀。
4月23日に発生した知床の観光船沈没事故で、佐賀県の70代男性が、奥さんに死を前に感謝の電話したと報じられる。「船が沈没しよるけん、いままでありがとう」。こういう人がいるんだ、と涙。
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