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原発事故の悪夢、お忘れですか?

ジャーナリスト / 元上智大学教員 小此木 潔

 岸田首相は、もうあの悪夢を忘れたのだろうか。福島第一原発の炉心溶融事故のことだ。事故から11年後の今も、メルトダウンで格納容器を突き破って地下にたまった核物質の塊を取り出すめどもたたないというのに、首相は8月末に原発推進政策への回帰を打ち出した。しかも新増設の検討まで明言したのだから、そのあからさまな姿勢に驚く。ロシアによるウクライナ侵略でエネルギー価格が高騰し、電力不足も懸念される状況を奇貨として、原発推進に舵を切ったようだ。9月末には経産省の審議会が具体化への議論を始めた。

 脱炭素を口実に原発推進

 首相が原発回帰を語ったのは、8月24日に官邸で開いた第2回GX(グリーン・トランスフォーメーション)実行会議でのことだ。化石燃料中心の産業構造をクリーンエネルギー中心に切り替え、経済社会システムの変革をめざすという政府首脳と有識者の会議で、コロナ感染で公邸からオンライン参加した首相は、原発への期待を次のように述べた。

 「原子力発電所については、再稼働済み10基の稼働確保に加え、設置許可済みの原発再稼働に向け、国が前面に立ってあらゆる対応を採ってまいります。GXを進める上でも、エネルギー政策の遅滞の解消は急務です。本日、再エネの導入拡大に向けて、思い切った系統整備の加速、定置用蓄電池の導入加速や洋上風力等電源の推進など、政治の決断が必要な項目が示されました。併せて、原子力についても、再稼働に向けた関係者の総力の結集、安全性の確保を大前提とした運転期間の延長など、既設原発の最大限の活用、新たな安全メカニズムを組み込んだ次世代革新炉の開発・建設など、今後の政治判断を必要とする項目が示されました。これらの中には、実現に時間を要するものも含まれますが、再エネや原子力はGXを進める上で不可欠な脱炭素エネルギーです」

 東日本大震災以降、これほど露骨に原発依存を語った首相はいない。安倍元首相は2013年2月の施政方針演説で「安全が確認された原発は再稼働する」としながらも、「省エネルギーと再生可能エネルギーの最大限の導入を進め、できる限り原発依存度を低減させていく」と述べた。菅前首相は2020年10月の所信表明演説で、脱炭素社会に向けて「再生可能エネルギーを最大限導入するとともに、安全最優先で原子力政策を進める」としつつも、抑制的だった。昨年の衆院選での自民党公約にも「可能な限り原発依存度を低減します」と書かれていた。
 ところが今夏の参院選の公約で自民党は「安全が確認された原子力の最大限活用」をうたい、抑制の姿勢を捨てた。その延長線上に起きたのが首相の原発回帰表明だった。「原発の新増設とリプレース(建て替え)は想定しない」というのが事故以来の政府方針だったのに、首相は今回、原発の建て替えどころか新増設まであっさり検討を表明し、老朽原発の運転期間延長も検討するという。国民の安全をないがしろにするような首相発言には落胆した。

 「壊滅」の悪夢は甦る

 首相は、国民のいのちと暮らしの安全を最優先する立場から、福島第一原発所長の吉田昌郎氏が「イメージは東日本壊滅」と述べた原発危機の深刻さと教訓をよく考えるべきだ。吉田氏が事故後、政府の聞き取り調査に応じた記録文書を首相はまず読んでほしい。聴取は2011年7月から11月にかけて行われ、A4判で400ページを超えるが、所長が抱いた恐怖の核心は、メルトダウンの連鎖で原子炉冷却のための注水作業ができなくなる最悪の事態を想定して述べた以下の言葉に凝縮されている。

 「ここで本当に死んだと思ったんです」

 「炉心が溶けて、チャイナシンドロームになりますということと、そうなった場合は何も手をつけられないですから(中略)、凄まじい惨事です」

 「燃料分が全部外へ出てしまう。プルトニウムであれ、何であれ、今のセシウムどころではないわけですよ。放射性物質が全部出て、まき散らしてしまうわけですから、我々のイメージは東日本壊滅ですよ」

 当時の原子力委員会の近藤駿介委員長が菅直人首相の指示でひそかに作った「最悪シナリオ」もほぼ同様の想定で、住民の強制移住(避難)区域が半径170キロメートルとそれ以遠に及ぶ可能性があり、移住を任意で認める区域も半径250キロ以遠に達する可能性があるとされた。福島県全域や仙台、山形、宇都宮、水戸の各市が強制移住区域に含まれ、東京23区と千葉、横浜、さいたま、前橋、新潟の各市が任意移住区域に低まれるという想定だった。
 原発を次々と再稼働していけば、事故のリスクは高まらざるをえない。ロシアによるウクライナ侵略で原発の有事の脆弱性が示されたことも十分に考えなければいけない。東日本大震災のころ、「最新の原子炉なら、飛行機が落ちても大丈夫」などという説明を電力会社の幹部から聞いたことがあったが、その幹部は軍事衝突やテロなどは想定していなかった。
 たとえば万が一にも東海原発や浜岡原発で福島第一のような悲劇が起きれば、東京に人が住めなくなる懸念はぬぐえない。他の地域でも同様だ。首相の原発回帰策は「壊滅」の悪夢を再び甦らせる。政府がいくら安全や安心を唱えても、地下でプレートがひしめき合う日本に原発の稼働が続く限り、がんで死んだ吉田所長の遺言は繰り返し想起されるに違いない。そんな心配をせずに平和に暮らしたいと望む国民の声に対し、岸田首相はなぜ看板にしてきた「聞く力」を発揮してはくれないのか。

 財界と官僚の意向反映

  首相の発言は、日本経団連や、経産官僚の利害を代弁している。GX実行会議の議事録は公開されていないが、会議のホームページに提出資料が掲載されている。8月24日の会議に経団連の十倉雅和会長が提出した資料の中には「原子力発電の稼働想定」と題したグラフがあり、そこには「足元の稼働数10基」、2030年の総発電量に占める原発の比率と原発稼働数について「20%で27基必要」と書かれている。また、「2050年の原子力比率20%で40基必要」、「2050年の稼働可能数23基」、「2060年の稼働可能数8基」などとあり、運転期間を延長して老朽原発を大量に動かし、建て替えや新増設に踏み切るよう政府に迫る内容になっている。
 また、経産省がまとめた提出資料には「原子力政策の今後の進め方」と題したスケジュール表と「再稼働加速(緊急対策)」「官民それぞれの対応加速へ、本年秋にも対応とりまとめ」といった文字が躍る。
 GX実行会議での首相の意向表明を受けて、9月22日には経産相の諮問機関である総合資源エネルギー調査会の原子力小委員会で議論が始まり、原発推進のための具体策について有識者などから原発活用のための意見が相次いだ。
昨年の総選挙はもちろん、今年の参院選でも本格的な原発回帰への本音は封印して争点化を避け、選挙で大勝してから原発推進を鮮明にし、走り出した岸田政権。その政治手法は、原発で潤う業界や官僚の利害を優先しているように見える。

 質問しだいで世論が逆に?

  8月末に朝日新聞が実施した全国世論調査では、原発を新設したり、増設したりすることについて「賛成」と答えた人は34%で、「反対」の58%のほうが多かった。毎日新聞が9月に実施した全国世論調査でも反対の声が強く、原発の新増設に賛成かとの質問に対し、「賛成」は36%で、「反対」の44%を下回った。 
 これとは逆に、NHKが9月初めに実施した世論調査では、「政府が次世代の原子炉の開発や建設を検討する方針を示したことをどう思うか」との質問に、「賛成」が48%、「反対」が32%で、賛成多数だった。また、日本経済新聞社が9月に実施した世論調査では岸田首相が次世代型原発の新増設・建て替えを検討するよう指示したことについて質問したところ、「評価する」との回答が53%で、「評価しない」の38%を上回った。
 こうした世論調査の分裂状況について、市民への情報提供に力を注いできた東京のNPO法人原子力資料情報室(CNIC)は9月16日、メディアに向けた発表で、朝日とNHKの調査結果の違いについて「この差の原因は、質問文にあると考える」と指摘した。
 朝日新聞の質問は、「原子力発電所についてうかがいます。あなたは、国内に原子力発電所を新設したり、増設したりすることに賛成ですか。反対ですか。」というシンプルなものだったのに対して、NHKのものは「原子力発電所の政策をめぐって、政府は、次世代の原子炉の開発や建設を検討する方針です。この方針に賛成ですか。反対ですか。」と、「次世代」を強調するものだったから、違いが出た、とする分析だ。
 CNICによれば、次世代革新炉の開発・建設方針が出たGX実行会議で岸田首相は「次世代革新炉」が何であるかを示していないが、経産省の審議会にある「革新炉ワーキンググループ」では革新軽水炉、小型軽水炉、高速炉、高温ガス炉、核融合炉が革新炉として扱われ、最も導入が早い革新軽水炉について2030年代半ばに運転開始する開発・建設計画を経産省が示している、という。
 現実的に建設されうるのは、いま存在する原発、またはそれが若干改良された程度のものだが、「次世代」や「革新炉」と呼ぶと、あたかも安全性が飛躍的に高まった未来の原発であるかのような印象を与え、回答者に先入観を与えてしまう、とCNICは懸念している。
 新型の原発への期待をにじませる質問に回答者は流されやすいと思われるから、メディアは本来、こうした質問で回答を誘導する危険を自覚しなくてはならないはずである。

 脱炭素と脱原発の両立を

 岸田政権の原発回帰策は、まるで福島第一原発の重大事故などなかったかのように、未来型原発への幻想・期待を優先するものだ。しかしそれは、国民を将来にわたって原発事故のリスクにさらす危険な道だと筆者は思う。
 危険を避けようとすれば、手本にすべき国はドイツだ。地震にさらされる島国の日本に比べてドイツでの原発立地は有利なはずだが、それでもメルケル前首相が2022年末までの脱原発を決断し、17基あった原発を3基に減らした。
 ショルツ首相は再エネによる発電を強化して2030年に電力の8割程度をまかなう方針で、脱原発を脱炭素と両立させようと懸命だ。ロシアによるウクライナ侵略で天然ガス輸入が不安定になり、電源確保のため原発の稼働延長論が産業界や国民の間で高まったが、もし延長するとしても一時的だとしている。対照的に日本は、脱炭素を隠れ蓑にしたり、次世代型への期待をあおったりして原発を推進し、脱原発への道を閉ざそうとしている。
 ドイツは本気で脱炭素に向けて風力や太陽光、水素などの再生可能エネルギー産業の振興に力を注いでいる。残念なことに日本は、原発を温存する政策を選んでしまい、再生可能エネルギーに提供するべき市場をあえて狭めている。すでに世界の風力や太陽光発電関連の市場では、中国やドイツなどの企業が活躍し、日本企業は苦戦している。このままでは原発回帰で潤う関係者を喜ばせる半面、国民の安全や再エネ産業の発展が犠牲にされるのではないかと、不安でならない。
 

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