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「黒岩涙香君のような出兵論者は、誰よりも先に前衛の一人として出かけてもらいたいものだ」

 独立メディア塾 編集部

 薄田泣菫(1877年=明治10年5月19日~1945年10月9日)は、詩人、随筆家。大阪毎日新聞の学芸部長を務めた。1915年(大正4年)から1930年まで大阪毎日新聞などの新聞や雑誌に「茶話」と題する811篇からなる短文を連載した。古今東西の有名人の茶飲み話のような逸話であふれている。新聞コラムの嚆矢とも言われている。表題の言葉は「完本 茶話」(1915年3月4日)から。

 出兵論者についての茶話はトルストイの「アンナ・カレーニア」の1シ-ンから始まる。ある人が好戦論者を戒めるためにフランスの作家の言葉を引用した。「戦争がどうでも避けることができないものならそれもよかろう。だが、そんな場合には戦争論を唱えた新聞記者だけには是非とも一隊を組ませ、どこの戦闘にも前衛として使うことにしたいものだ」。それを受けて黒岩涙香がやり玉に挙げられている。
 黒岩涙香は明治時代の翻訳家、作家、記者。『萬朝報(よろずちょうほう)』を創刊した。
 現代なら名誉棄損で訴えられそうなコラムが多い。
 読売新聞を退社し実業之日本社を創立した増田義一について「増田氏は西洋へ往って、頭のなかに何も入れてこなかった代わりに、新型の自動車を一台買い込んできた」(大正5年12月17日)
 こんな文章もある。
 「今年、五三の独身哲学者田中玉堂氏と高梨孝子女史との結婚は近頃めでたいものの一つだが、ただ難をいうと結婚が少し早過ぎた事で、もっとよく交際していると、お互いに結婚しないでも済まされたものを、兎にかく惜しい事をしたものだ」(大正8年7月30日)
ほっておいてくれ、と言いたくなる文章だ。

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