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特集コラム 「あの日のこと」 vol.5
瀬古利彦
松尾 英里子 / 白鳥 美子大切な人に伝えたい「記憶」のインタビュー 元マラソンランナー瀬古利彦さんのあの日のこと
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「あの日のこと」 vol.5 【目次】
泣き過ぎると、涙って本当に涸れるんだよ 【目次】 マラソンの“瀬古利彦”――。1970年代後半から1980年代を知る者には、彼の黙々と走る姿が目に焼き付いている。とにかく、速かった。強...
2024.02.13
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6歳の時に、1.5キロを「逃げ切った」 1/9
「小さい時から走るのが大好きで、そこらじゅうを駆け回っていた」瀬古さんが、初めて自分の足の速さに気づいたのは幼稚園時代、6歳の時だった。 ある日、幼稚園で、履いていた半ズボン...
2024.02.13
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早稲田大学受験に失敗!失意の日々 2/9
高校入学直後から、中距離走で目覚ましい結果を次々に出した。高校二年生の時には、地元・三重県のインターハイの800m・1500mで優勝。千葉国体でも1500m・5000mで優勝。三年生になってからの福...
2024.02.13
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ホームシックとストレスで体重10キロ増 3/9
指定された留学先は、南カリフォルニア大学。授業が始まるのは9月だが、瀬古さんは5月に渡米。大学入学前の準備として語学学校に通う以外は、自主練で走るだけの毎日だった。 「寂しく...
2024.02.13
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早稲田大学に入学、中村清監督との出会い 4/9
アメリカから帰国し、無事、早稲田大学に合格。「瀬古の海」とからかって呼ばれるほど体重が増えてまんまるになっていた瀬古さんだったが、周りからの期待は変わらず大きかった。 「早稲...
2024.02.13
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「二人は一人に勝る」 5/9
中村監督の指導は、「心」が主だった。 「毎週、日曜日は二人で教会に通いました」 ある日、聖書を開いて監督がこう言った。 「瀬古、なんでお前と俺が一緒にいて強いのか、ここに...
2024.02.13
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不運が付きまとった二度のオリンピック 6/9
1980年のモスクワオリンピック、初めてマラソン日本代表に選ばれた瀬古さんは最有力の優勝候補と目されていたが、開会式の2か月前にボイコットが決った。 「人生、二度目の挫折でした」 ...
2024.02.13
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結婚式の3週間前、中村監督の不慮の死 7/9
失意のうちに終わったロス・オリンピックの後、「結婚したくなった」瀬古さんは“婚活”を始めた。ずっと練習漬けの日々で、恋愛経験なし。出会う機会も時間もないからと、中村監督が「自薦・...
2024.02.13
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ライバルがいたから、続けられた 8/9
フルマラソンの大会に出る時には、半年前から綿密な計画を立てて進めていく。 「半年後に、こういう状態になっていたい」という目標を明確にして、練習を積み上げる。 「毎日の練習を...
2024.02.13
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母の涙、息子・昴くんの最後の言葉と共に 9/9
現役時代、陸上界でどんどん名を上げ多くの注目を集める瀬古さんを、母親は喜びつつも寂しがった。 「お前が強くなるのは嬉しいけど、自分たちだけの息子じゃなくなって遠くに行ってしま...
2024.02.13