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ライバルがいたから、続けられた 8/9

  松尾 英里子 / 白鳥 美子

フルマラソンの大会に出る時には、半年前から綿密な計画を立てて進めていく。
「半年後に、こういう状態になっていたい」という目標を明確にして、練習を積み上げる。
「毎日の練習を、嫌だと思ったことは一度もありません。やらないと、勝てないから。勝つためには、やるしかない。勝ちたくてやっているので、やるしかないんです」
それでも、「今日はちょっとさぼりたい」と思うことはないのかと聞くと、「ライバルがいるから、さぼれないんだ」と返ってきた。
「雨降りで、ちょっと億劫だなと思う日があっても、宗兄弟が今頃走っているんだと思うと、負けていられない」
一人では無理だった、と瀬古さんは言う。「そのうち、中山竹通選手も出てきて、若いやつに負けられない。そして、またがんばる。ライバルは役に立つ」
今のスポーツ界では、ライバル同士でも試合を離れると仲良しで、ライン交換をして楽しく会話しているなんていう話も珍しくないが、瀬古さんが現役時代には考えられなかったという。
「ライバルに自分が普通の人間だと思われちゃいけないんです。レースの最後は一対一の戦いになるので、そのときに、『こいつも普通の人間だ』なんて思われたらおしまい。人間離れしている、何を考えているか分からないと怖がらせる必要がある」
吉本新喜劇を見て育ち、根が明るくてひょうきんな瀬古さんではあるが、人柄を隠し通すために、ほとんどしゃべらなかった。中村監督からも「役者になれ」と言われて、不気味な役を演じ切った。

そして、1988年ソウルオリンピック。三度目のオリンピック代表に選ばれたが、直前に足を傷めて走れなくなった。「合宿先で走れずに落ち込んでいる私のところに、毎日のように家内から励ましの手紙が届きました。それを読みながら辛くて辛くて、部屋で布団をかぶって、ずっと泣いていました。泣き過ぎて、最後は涙が出なくなった。涙って本当に涸れるんです。それくらい泣きました」
結果は9位に終わった。「もう勝てなくなった」と、瀬古さんは引退を決意した。


ソウル五輪後に贈られた奥様、昴さん共作の金メダル



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