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大きな事件が起きると、休みの日に必ず現場に行った 6/7

  松尾 英里子 / 白鳥 美子

どうしたらニュースの背景を伝えられるだろうか。久能さんはキャスターとして番組を担当しつつ、大きな事件が起きると、休日に必ず現場に行った。
 
日航機墜落事故では、事故から5日後に御巣鷹山に入った。どんなに険しいところなのかを身をもって知るため、麓の上野村から歩いて山に入った。焦げた樹木、おびただしい数の機体の破片、遺留品、激突の衝撃が伝わってくる。乗客の心中を思うとともに、奇跡的に助かった4人がどんな気持ちで一夜を過ごしたのだろうと考えた。そこで、自衛隊員や消防隊員とともに現場で野宿した。山の中は物音ひとつせず、かえってその静けさが不気味だった。事故の恐怖、静けさからの恐怖、「ここで一夜を過ごした4人はどれだけ怖かっただろうか」と想像した。
 
ナホトカ号重油流出事故の時には、スタジオでそのニュースを伝えた足で現地に赴いた。海岸はテレビ画面を通しては感じられなかった、強烈な重油の匂いに覆われていた。そして、タンカーはテレビで見るよりもずっと近くに見えた。
地元の人がやっているように、軍手をはめ、重油を除去する作業に参加した。重油はずっしりと重く、ひどく粘った。軍手はたった一度で使い物にならなくなった。そして何より、想像以上の力作業が体にこたえた。ふと見るとすぐそこで、腰を痛めた人たちが救難所で手当を受けている。一人や二人ではない。大勢いた。
 
「現場に立つ人間っていうのは、もう少しね、 テレビってものを考えなきゃいけないんじゃないかって気がするんだよ。『ご覧のようにびっしり重油が付着しています』では、ただのレポート。視聴者が少しでも現場のことを感じられるように、現場に立つ人間は、ただ原稿を読むんじゃなく、常にスタジオと掛け合いながら、自分なりに感じたことを話さないと」。
「午後は〇〇おもいッきりテレビ」でニュースを担当した時には、原稿を読むのではなく、全部内容をメモにして、それを頭の中に入れて、アドリブで話した。

久能さんは、これからのテレビメディアをどのように展望しているのだろうか。尋ねると、「残念ながらね」と久能さんは切り出した。「よほど頑張らないとテレビは衰退していくと思うんですよね」。録画や配信など技術が進んだ結果、今この瞬間を逃すともう見られないものはどんどん減ってきた。即時性が最大の強みだったテレビメディアにとっては逆風だ。そういう状況だからこそ、現場とスタジオとで掛け合いながら「自由にトークできるようなキャスターっていうのが、これから絶対に必要になってくる」。久能さんは後輩たちから連絡があると、いつもそう話し、エールを送るのだという。


久能さんの取材アルバム

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