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恩師との出会いがアナウンサーになるきっかけに 3/7

  松尾 英里子 / 白鳥 美子

アナウンサー、ジャーナリストとして、長らくテレビ画面に映ってきた久能さん。子ども時代もさぞ活発かと思いきや、実はおとなしく、授業で答えがわかっていても、なかなか手を挙げられない子だったそうだ。
 
しかし、転機となる出会いがあった。疎開先の先生だ。
国語の時間が終わりに近づくと、先生はいつも久能さんを指名し、教科書を読ませた。千葉からの転校生である久能さんは、標準語で音読した。先生はその読み方を褒めた。褒められた久能さんは嬉しくなり、そして「もっと上手くなりたい」と、読みばかり懸命になって練習した。「今考えると、その音読のおかげでアナウンサーの基礎ができたのかなって気がする」
 
戦後、しばらく経ってのことだった。
ある日、先生から「明日は墨と筆を持ってくるように」と連絡があった。「おかしいな、習字の時間でもないのに」と思いながら、翌日、言われた通りに墨と筆を持って学校へ行った。すると先生は教科書を前に「これから先生の言うところを消してもらう。でも、消す前に、全部読んでおきましょう」と言った。それまでの教科書に記載されている軍国主義的な表現を消させる、いわゆる墨塗り教科書の作成のためだった。「こういう時代があったということを、頭に叩き込んでおきなさいということ」だと、久能さんは理解した。
 
先生は、後にレッドパージで教壇を追われ、若くして亡くなった。自身の息子にも「やすし」という名前をつけるほど、可愛がってくれた先生だった。久能さんは「小学校時代のその先生のおかげで今がある」と今でも思っている。



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