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「諦めないでやりゃいいじゃないか、というのが僕の考え方」 7/7

  松尾 英里子 / 白鳥 美子

久能さんは55歳で日本テレビを退社した。理由は「僕が会社に入った時は、定年は55歳だった」から。実は、その5年前の50歳の誕生日の日に、これからの後半生をどう生きるか、シナリオを考えていた。辞めることに迷いはなかった。
 
そして今度はフリージャーナリストとして、それまで実況で関わった事故や事件の現場に再び赴き、関係者からも話を聞き、書籍にまとめてきた。
浅間山荘事件の犯人たちも例外ではない。本当に信頼してもらえるまで繰り返し当事者のもとに行って、犯人の立場からの考えを聞き、一緒に凄惨な事件が起きた現場にも行った。「一遍限りのインタビューだけで終わりたくないなって気持ちはあるよね」。真実と、心の機微と、それに関わった人たちが、時間をかけて、どのように変わってきているかを捉えることに努めてきた。
 

著書実録昭和の大事件「中継現場」(2020年河出書房新社刊)
 
現在88歳。80を過ぎてから、一気に足腰が弱くなった。持っていた家も家財も思い出の品々も随分整理し、遺言書も書いた。整理する過程には、寂しさもあったのかと思いきや、「自分にとってどうしても必要なものだけ」の生活にしたという久能さんの表情は、どこか晴れ晴れとしている。
 
そんな久能さんに、人生100年時代を生きるアドバイスを尋ねると「準備を早くすること。早すぎるってことはないから」と教えてくれた。
 
50歳の誕生日に考えた後半生のシナリオは、節目節目に見直した。実際には、必ずしもその通りにはなっていなかったが、人生の道程の大きな拠り所になった。
 
そして、「これから残りの人生が何年あるかわかんないけど、 1番やりたいものから順番をつけること。そして、やりたいものからやること。体力的に無理だってんならそれはしょうがないけど、そうじゃない限りね、諦めないでやりゃいいじゃないか、というのが僕の考え方。やりたいものの下の順番からやっていったら、上まで行かないうちに死んじゃうんだからさ」と笑った。
 
激動の時代を生きた久能さんは今、シニア向けの施設に暮らしながら「悠々自適な日々」を送っているという。


●久能靖さん プロフィール 1936年(昭和11年)2月13日生まれ。
千葉県出身。東京大学卒業後、日本テレビのアナウンサーとしてニュース部門を担当。東大闘争、成田闘争、浅間山荘事件、日中国交回復などを実況中継。1972年、 報道部記者に転じ、警視庁、労働省、自民党、国会などを担当。皇室ジャーナリストとしても活躍。日本テレビの番組「皇室日記」では、長年キャスターを担当してきた。主な著書に『浅間山荘事件の真実』『「よど号」事件122時間の真実』『知られざる皇室』『皇宮警察』など。




(左)久能靖さん(右)松尾英里子

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