記事応募にはログインが必要です

パスワードを忘れた方はこちら

早稲田大学受験に失敗!失意の日々 2/9

  松尾 英里子 / 白鳥 美子

高校入学直後から、中距離走で目覚ましい結果を次々に出した。高校二年生の時には、地元・三重県のインターハイの800m・1500mで優勝。千葉国体でも1500m・5000mで優勝。三年生になってからの福岡インターハイでも800m・1500mで優勝するなど快進撃は止まらなかった。
卒業を前に、いくつかの大学から勧誘があり、両親に相談したところ、「ずっと走っているわけにもいかないだろうから、将来のことを考えてつぶしのきく大学に行った方がいい」と言われた。いくつかの大学から声がかかったが、とりわけ熱心だったのが早稲田大学だった。
ただ、当時の早稲田大学には、受験の際のスポーツ推薦枠というものがなかった。試験を受けて合格する必要がある。勉強に自信はなかったが、早稲田からの「どうしても来て欲しい」という強い要望を受けて、他大学からの誘いも断って早稲田の試験に臨んだ。――結果は、不合格。
「愕然として、その日は一日中、食事もとらずに真っ暗な部屋にうずくまっていました」
高校を卒業しても、行くところがない。この先、どうしたらいいのか。未来が、まったく見えなくなってしまった。ふらふらになるまで悩み続けた数日後、早稲田大学と陸連(日本陸上競技連盟)からある提案があった。
「今回の不合格は英語の点数が悪かったせいなので、一年間アメリカの大学に留学して陸上部に所属しながら、英語の勉強もして、来年また受験に挑んで欲しい」
だが、瀬古さんは、アメリカになんて行きたくなかった。
「それまで海外に行ったこともないし、親元を離れるのも不安でした」
いったんは断ったが、「そこまで言ってもらっているのだから」と親に説得されて、渋々アメリカに向かった。


家族写真(高校当時)




コメント投稿にはログインが必要です

パスワードを忘れた方はこちら

こちらのコメントを通報しますか?

通報しました