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特集コラム 「あの日のこと」Vol.7 久能靖
松尾 英里子 / 白鳥 美子大切な人に伝えたい「記憶」のインタビュー
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戦争が「普通の生活」だった 1/7
1936年(昭和11年)月、千葉市で生まれた。生まれた10日後に226事件が起きる。徐々に大きくなる戦争の足音とともに育った幼少期だった。 千葉師範附属国民学校に入学したのは、1942年(昭...
2024.05.01
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父の出征と、蚕小屋での疎開生活 2/7
1944年(昭和19年)のある日、医師であった父親にも出征令状が届く。 父は、家を離れるまでの間に、庭の柿の木の下に防空壕を作ってくれた。残された家族4人全員が入れるような穴を、黙々...
2024.05.01
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恩師との出会いがアナウンサーになるきっかけに 3/7
アナウンサー、ジャーナリストとして、長らくテレビ画面に映ってきた久能さん。子ども時代もさぞ活発かと思いきや、実はおとなしく、授業で答えがわかっていても、なかなか手を挙げられない...
2024.05.01
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テレビ創世期の思い出は、汗と涙がいっぱい 4/7
日本テレビのアナウンサーになったのは1960年(昭和35年)。日本初の民間放送として日本テレビが開局し、まだ7年目のことだった。民間放送が経営的に成り立つかどうかもわからない時代。ちょ...
2024.05.01
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9時間実況した浅間山荘事件「ものすごく虚しかった」 5/7
アナウンサーとして活躍していた久能さんにとって、大きな転機となったのが浅間山荘事件だ。 1972年(昭和47年) 2月19日、連合赤軍のメンバー5人が、長野県軽井沢町にある「浅間山荘」に乱...
2024.05.01
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大きな事件が起きると、休みの日に必ず現場に行った 6/7
どうしたらニュースの背景を伝えられるだろうか。久能さんはキャスターとして番組を担当しつつ、大きな事件が起きると、休日に必ず現場に行った。 日航機墜落事故では、事故から5日...
2024.05.01
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「諦めないでやりゃいいじゃないか、というのが僕の考え方」 7/7
久能さんは55歳で日本テレビを退社した。理由は「僕が会社に入った時は、定年は55歳だった」から。実は、その5年前の50歳の誕生日の日に、これからの後半生をどう生きるか、シナリオを考えて...
2024.05.01
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「あの日のこと」 vol.7 【目次】
「一遍限りのインタビューだけで終わりたくないなって気持ちはあるよね」 柔らかく落ち着いた語り口で、長年、日本の茶の間にニュースを伝え続けてきた久能靖さん。皇室ジャーナリ...
2024.05.01