「国民よ、立ち上がれ!嵐よ吹け!」

 独立メディア塾 編集部
ナチスドイツの宣伝相ヨーゼフ・ゲッべルス(1897年10月29日 ~1945年5月1日)は第二次世界大戦中の1943年2月18日、ベルリン・スポーツ宮殿に2万人の大観衆を集めて「総力戦演説」と呼ばれる大演説をぶった。ゲッベルスの最も有名かつ悪名高い演説だ。スターリングラードの戦いで敗れ、敗色が決定的になったドイツは、国民の群集心理をあおって総決起を求めた。現代に通じる世論誘導術として知られている。
(「第三帝国と宣伝 ゲッベルスの生涯」「ゲッベルス ヒトラー帝国の演出者」などから)
戦況悪化の2月18日、ゲッベルスは2万人の民衆を集めて「私は諸君に十項目の質問を出したい」と勝利のための覚悟と奮起を求めた。
「諸君は総力戦を望むか?諸君は必要とされるならば、我々が今、想像する以上の全面的で徹底的な戦争を望むか?」
「私は諸君に問う、諸君ドイツ国民はもし総統が非常事態に命じるならば、10時間、12時間、必要とするならば14時間働く決意があるか?」
「最後の質問を出す。諸君は銃後の国民が戦争の重みを連帯してそれぞれの肩に負うことを望むか、否か」。
狂信的な問いかけ。そのたびに群衆は「ヤー!(そうだ)」と叫んだ。興奮はベルリン・スポーツ宮殿だけでなく、何百万ものドイツ人がラジオで聞いた。演説はドイツ全土を異様な興奮で包んだ。
ゲッベルスは演説の最後を「さあ国民よ起て!そして嵐よ吹け!」と締めくくった。これはナポレオン戦争で戦死した詩人テオドール・ケルナーが書いた、「国民は起ち、嵐が起こる」という一節を踏まえたものであった。(ウィキペディアから)
5月10日にはベルリンはじめ全国の大学の大学生のナチ党員を動員して公私立の図書館からユダヤ人の書いた書物などを広場に集めさせて焼き払った(焚書)。ハインリヒ・マンなどの反ナチ派の本、またカール・マルクスやジークムント・フロイト、ハインリヒ・ハイネなどユダヤ人達の本が焼かれた。
ハイネの焼け残った書籍には「本を焼く所では、終いには人間をも焼く」という予言が書き残されていた。
ゲッベルスは1945年5月1日、妻と子供6人を道連れに自殺した。
(「第三帝国と宣伝 ゲッベルスの生涯」「ゲッベルス ヒトラー帝国の演出者」などから)
民衆をたきつける「総力戦演説」
1943年2月2日、スターリングラード攻防戦でドイツ軍は降伏した。その直前の1月23日、アメリカ大統領、フランクリン・ルーズベルトとイギリス首相、ウィンストン・チャーチルはドイツに無条件降伏を要求した。戦況悪化の2月18日、ゲッベルスは2万人の民衆を集めて「私は諸君に十項目の質問を出したい」と勝利のための覚悟と奮起を求めた。
「諸君は総力戦を望むか?諸君は必要とされるならば、我々が今、想像する以上の全面的で徹底的な戦争を望むか?」
「私は諸君に問う、諸君ドイツ国民はもし総統が非常事態に命じるならば、10時間、12時間、必要とするならば14時間働く決意があるか?」
「最後の質問を出す。諸君は銃後の国民が戦争の重みを連帯してそれぞれの肩に負うことを望むか、否か」。
狂信的な問いかけ。そのたびに群衆は「ヤー!(そうだ)」と叫んだ。興奮はベルリン・スポーツ宮殿だけでなく、何百万ものドイツ人がラジオで聞いた。演説はドイツ全土を異様な興奮で包んだ。
ゲッベルスは演説の最後を「さあ国民よ起て!そして嵐よ吹け!」と締めくくった。これはナポレオン戦争で戦死した詩人テオドール・ケルナーが書いた、「国民は起ち、嵐が起こる」という一節を踏まえたものであった。(ウィキペディアから)
「本を焼くものは人間をも焼く」
ゲッベルスはこの演説の10年前、1933年3月14日に「国民啓蒙・宣伝省」の大臣に任じられ、他の省庁の権能を自らの宣伝省に集めた。内務省からは検閲権、経済省からは広告監督権や産業博覧会・貿易博覧会開催権、外務省からは対外的PR権などを獲得した。5月10日にはベルリンはじめ全国の大学の大学生のナチ党員を動員して公私立の図書館からユダヤ人の書いた書物などを広場に集めさせて焼き払った(焚書)。ハインリヒ・マンなどの反ナチ派の本、またカール・マルクスやジークムント・フロイト、ハインリヒ・ハイネなどユダヤ人達の本が焼かれた。
ハイネの焼け残った書籍には「本を焼く所では、終いには人間をも焼く」という予言が書き残されていた。
ゲッベルスは1945年5月1日、妻と子供6人を道連れに自殺した。