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倭と朝鮮半島

テレビ屋 関口 宏

 歴史に詳しい作家の保阪正康氏と取り組んできた『もう一度!近現代史』がこの3月で終了し、現在、BS-TBS・毎週土曜日・昼12時の枠では、一気に古代史に戻り、歴史家の吉村武彦氏と、歴史・文化の編集工学を進められている松岡正剛氏と話を進めてきて、そろそろ「藤原京」から「平城京」あたりに差し掛かってきました。

 この番組を始めたきっかけは、日々重ねられてゆく新発見・新研究により、我々世代が学校で教えられた古代史の知識が現在では通用しなくなっていると聞き、『一番新しい古代史』と銘打ってスタートしました。確かに縄文時代のイメージが私の中では大きく変わりました。青森県で発掘された縄文時代の遺跡(三内丸山遺跡)からは、高度な文明があったことが証明され、弥生時代以前から定住生活、野菜等の栽培が行われていたことを知りました。

 その後、弥生時代とされてきた時代に、「稲作」が渡来人によってもたらされ、その結果、「水」や肥沃な「土地」をめぐって問題が生じ、争いごとが起こるようになったことは間違いなさそうです。そして「稲作」とともにもたらされた「鉄の技術」、さらには「文字」というものが日本(当時は“倭=わ”と呼ばれていました)に与えた影響が大きいと、専門家のおふたりが口を揃えられました。

 仏教とともにもたらされた漢字を、「音読み」「訓読み」等の独特の感覚・技術を駆使して、やがては「万葉仮名」「ひらがな」「カタカナ」にして自分達のものにしていった我々の祖先には頭が下がります。

 しかし一方では、「古事記」(712年完成)、「日本書紀」(720年完成)以前に書かれたものがないということが、古代史の理解を複雑化しているようです。
つまり現在からほぼ1300年以前の記録がない。あったかもしれないが紛失、焼失してしまって出てきていないということなのだそうです。しかも同時代に、なぜ「古事記」「日本書紀」の2つのものが作られたのか。似たようなことが書かれているところもありながら、内容が異なる部分もあるとかで、まだまだ謎が多いのだそうです。

 そして私が1番気になったのが、どちらの記録にも「卑弥呼」が登場しない不思議。それは天皇家の歴史とは別の話なので、あえて入れなかった説や、様々な考え方があるようで、そこが「古代史」の難しいところでもあり、面白いところなのかもしれません。



 とにかく松岡氏、吉村氏のお話の面白さを、ここで全てご紹介するわけにも行きませんが、もう1つ。
 学校でも習った記憶のある「白村江(ハクスキノエ、ハクソンコウ、どちらでも良いそうです)の戦い」。660年。中大兄皇子(後の天智天皇)が朝鮮半島で、新羅と唐の連合軍に大敗した出来事。これ1つをとってみても、朝鮮半島と日本(倭)の関係は相当深いものがあったと想像されます。

 人も文化も半島からもたらされたイメージが強かったせいか、こちらから、あちらへの影響には関心が向いていなかったのでしょうか。今回改めて知ったのは、「白村江」以前から、時にはこちらが優位に立ったり、またへり下ったりしながら交流していたようです。



 その1つの例として、朝鮮半島の南西部の一部には、倭(日本)独自のものとされてきた「前方後円墳」があるといいます。(「前方後円墳」の代表的なものは以前には、「仁徳天皇陵」と習った古墳。最近の研究では否定する説も出てきて、現在学校では、「大山古墳」と教えているそうです。

 さて、その『一番新しい古代史』もそろそろ大詰め。次は武士・侍の時代が長く続きます。果たしてどんな番組になるのか、ご期待ください。


 テレビ屋  関口 宏

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