ゲスト様

2020年03号

「一枚の絵」と「国境」

学生 長谷川 美波

 2年前、2018年の春休み、旅先で初めて一枚の絵を買った。両脇に笑顔で抱き合う家族の姿。真ん中の大きな文字は、スペイン語で「Yes we can!」という意味らしい。鮮やかなオレンジとブルーのコントラストが目を引く。

 国境の町、麻薬の町ティファナ
 アメリカの大学に留学中、「国境」について学ぶ授業を受講した。その授業では冬休みに教授がメキシコに連れていってくれる。それが魅力的だった。冬休みを使って1週間、アメリカとメキシコの国境都市であるティファナに滞在し、家を建てるボランティアをしながら国境について考えるという内容だ。

 大学があるシアトルから飛行機に乗り、サンディエゴの空港に到着すると、教授が10人乗りのバンに乗って現れた。メキシコまでは車で30分ほど。教授の運転で、南の国境へ向かった。車窓から見える景色が、サンディエゴの豪華な雰囲気から、灰色っぽい世界へとみるみる変わる。陸続きの国境を越える機会なんて日本に住んでいると経験できないから、ワクワクした。国境付近に近づくと、コンクリートの壁には、鉄のフェンスや、鋭いトゲのある柵がぐるぐる巻きつけられている。ティファナは麻薬の密売などで知られているため、無事に帰って来られるのか、少し不安になった。

 追放された人たちのシェルター
 しかし、住人たちに会うと、そのあたたかさに驚いた。家は地域みんなで力を合わせて造るもの。町中から人が集まって、コンクリートやブロックを運ぶのを手伝う。休憩時には、毎日違う種類のメキシコ料理を振舞ってくれた。強い日差しで肌がじりじりと痛む中食べた手料理は格段に美味しかった。家を建てるために集まったのは、ほとんどが女性や子どもたちだった。学校に行っていない子どもも多かった。
 働いた後、何回か国境を見に行く機会があった。はじめに訪れたのは、国境の海岸沿いにある公園。メキシコ側からみた国境の壁は、落書きだらけだった。「壁ではなく架け橋を」「私たちはみな平等」「トランプは嫌いだ」。そんな声が書き綴ってあった。アメリカ側を見渡すと、うっすらとサンディエゴのビル群が見えた。それを遮る建物はない。アメリカとメキシコの国境は、「線」ではなく、もっと広大で、何も無い「面」なのだと、私はその時初めて知った。
 国境をより内陸側に進んでいくと、トランプ大統領が建設を進める「壁」のサンプルが並んでいた。すでにある低い壁でもそう簡単には乗り越えられないのに、その高さを何倍も上回る、巨大な壁だ。それぞれ違う材質でできたサンプルが8枚、アメリカ側にそびえ立っていた。壁の周りには監視台がいくつもあった。こんなにも物理的な「壁」の建設が現実に進んでいるとは思いもしなかった。
 アメリカから国外追放された人々が集まる国境付近のシェルターを訪れ、そこで生活する人々と夕食を共にする機会もあった。シェルターの中には、狭い一部屋に2段ベッドが4台置いてある部屋がいくつも並んでいた。夕食の時に向かいに座っていたメキシコ人の男性は、20年以上アリゾナ州でバスの運転手として働いていたのに、ある日突然国外追放され、家族とも離れ離れになってしまったという。「ラテンアメリカっぽい見た目をしているだけで、身元のチェックをされてしまうんだ」。その状況を知って、共にプログラムに参加した何人かのアメリカ人学生は、ショックと怒りのあまり涙を流していた。

 引き裂かれた家族を支援する絵
 アメリカへ戻る日、国境のセキュリティはメキシコに入国する時と比べ物にならないくらい厳しかった。日本人である私は、パスポートとビザの他にも書類をいくつか用意しなければならなかった。
 サンディエゴに戻ってきた後、私たちを乗せたバンは国境の近くにある公園に向かった。高速道路の高架下にあるその公園は、至るところがメキシコらしいカラフルな絵で埋め尽くされている。その公園で、公衆トイレの横の壁一面に巨大な絵を描く男性を見かけた。話を聞いてみると、国境で引き離された家族を支援する活動をしているそうだ。トイレの壁に描いていたのは、その活動団体のポスターだった。活動の支援になると聞いて、彼が描いた絵を購入した。絵の右下に、快くサインも入れてくれた。今でも大切に保管している絵を見ると、メキシコでの思い出や国境で出会った人々を思い出す。「あの壁に使われる費用が、もし移民に関する教育に使われたら、世界は変わるかもしれないね」。現地で出会った一人の男性はそう言った。その言葉が今でも忘れられない。

長谷川 美波

学生

1996年 東京都出身
2015年 お茶の水女子大学附属高校卒業
上智大学文学部新聞学科在学中

お知らせ

新着記事

ページトップに戻る