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待ってました!

テレビ屋 関口 宏

 待ち遠しかった3月。何が待ち遠しかったのか、人それぞれの想いはあるでしょうが、やはり暖かくなる「春」、草花が芽吹く「季節」には、万人共通の喜びがあると思われます。

 日に日に陽射しが長くなり、それだけでもウキウキしてきて、明るいうちから「一杯!」なんてことが始まると、「昼間っから申し訳ないような気分になるね」と言いながら、ちっとも申し訳ないとは思ってもいない呑みっぷりで、明るい時間からの「一杯」を楽しむのです。

 「そして今年の3月は、やっぱりあれですね。」「えっ?・・・・あれってなんですか?」「あれっていうのは・・・・・ほら、あれですよ。ほら・・・・・なんて言ったかな、あれ・・・・・」
 つまりこのお爺さんには、W・・・ B・・・Cというアルファベット3つが出てこなかったのですが、大笑いしながらもその気持ちは良くわかりました。


 W・B・C。ワールド・ベースボール・クラシック。
 野球における「世界一」を決めようというこのビッグ・イベント。昨年は「サッカー」のワールド・カップが盛り上がりましたが、今年は「野球」で盛り上がることになりそうで、私も首を長くしてこの3月を待ち望んでいました。

 思い返せば、私世代(戦中生まれの戦後世代)の子供の頃の人気スポーツは、何と言っても相撲と野球。力道山のプロレス人気もありましたがそれは一時のもので、相撲と野球の人気は一貫していて、未だに衰えていないと思われます。

 その野球についての私なりの知識としては、戦争により弱体化してしまった日本のプロ野球の復興をかけていたのでしょうか。年に1回、アメリカのメジャーチームをシーズンオフに日本に招待して、親善試合(ちなみに日本人が野球を覚えた明治時代から、たまに、ごく少数で行われていたそうです)をしていたのですが、これが話にならない。敵は日本へ観光旅行のつもりで来たようですが、まるで歯が立たず、メッタメッタにやられてしまうのです。ある時は、マリリン・モンローと結婚したニューヨーク・ヤンキースの大スター選手、ジョー・ディマジオが来日して大騒ぎになりましたが、この時もメッタ打ちにあいました。私は子供心に、「野球はアメリカ人には勝てない」と思い込んだものです。

 戦後、そんな日本のプロ野球よりも、人気が先行していたのが6大学野球。
 「早慶戦」の盛り上がりに影響され、他の大学も野球に力を入れたのです。それが戦争に負けて打ちのめされた日本人を、元気にさせるものの一つになりました。

1955年秋の早立1回戦 1

 やがて学生数も学校の規模も、他の大学より小さかった「立教大学」から、「長嶋茂雄」という選手が登場します。私の7歳年上の先輩で、「杉浦忠投手」(卒業後・南海ホークス)や「本屋敷錦吾遊撃手」(卒業後・阪急〜阪神タイガース)と共に、立教大学全盛期を作り上げました。
 昭和32年の春と秋、33年の春と秋。4シーズン連覇の快挙。応援に行く私たちは負ける気がしませんでした。
 また長嶋先輩は、それ迄の神宮球場での学生記録を塗り替える8号ホームランを放ち、華々しく「読売・ジャイアンツ」にプロ入りしたのでした。
 私、高校1年生。長嶋先輩の活躍は私達後輩の大きな誇りになりましたし、プロ野球そのものも、テレビ中継と長嶋人気と相まって、一層人気が沸騰していったように思います。

 そうして徐々に成長していった日本の野球。最近では、高い契約金を積まれて海を渡る日本人選手も増えて来ました。私が子供心に「野球ではアメリカに勝てない」と思い込んだことは「白紙撤回」しなければならなくなって来ました。

 W・B・Cは今回5回目。実は1回目、2回目は日本が優勝。その時私は大喜びをしたのですが、プロの解説者の話では、「あの頃、アメリカがまだ本気じゃなかったからね」とのこと。なんとも舐められた気にもなりましたが、今回は相当本気で来るといいます。もちろん、日本も本気です。
 そして、ダルビッシュ選手や大谷選手に象徴される最近の日本人選手達を見ていますと、戦中生まれの戦後世代には信じられない体格・技術を持ち、メジャーコンプレックスもなさそうで逞ましく感じられます。果たして今回選ばれたトッププレイヤー達がどんな試合を見せてくれるのか。
 待ってました! 是非、見事な大輪の花を咲かせる春にして下さい!


 テレビ屋  関口 宏

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