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ドン底からの80年

テレビ屋 関口 宏

 7月になりました。私事で恐縮ですが今年の7月は、何とも言い難い7月になっています。それは80年前のこの月の13日に、私はこの世に生を受けたからです。回りくどい言い方になってしまいましたが、簡単に言えば、今月私は80歳になったということなのです。やはり80歳ともなれば、色々と複雑な想いが湧き上がって来ます。

 80年前といえば1943(昭和18)年。日本は戦争の真っ只中。しかし私の記憶の始まりは敗戦後の東京の焼け跡の風景。日本中が何もかも失った時代でしたが、幼い子供にはそんなことはよく分かりません。食べ物にも苦労する日々に、世話をしてくれる大人たちがふと涙する場面もありましたが、良き時代を知らない子供の私には、スイトン、ジャガイモが当たり前。ひもじい想いにもならなかったと思いますが、後で聞けば、私は栄養失調の子供だったそうです。


 やがて戦後の廃墟からの復興が始まり、徐々に世の中が明るくなって行くような印象を持ちました。
 「今日よりも明日はもっと良くなる」という空気が流れ、活気溢れる日本を感じました。そのピークはいつだったか。色々なご意見があるとは思いますが、私の感覚では、1964(昭和39)年の東京オリンピックの頃に始まったように思います。貧しさから抜け出し、世界の一員としての地位を得て、やがて「Japan as No1」とまで言われるに至った頃までの我が国。


 しかし有頂天になりすぎたのでしょうか、経済のバブル現象が崩壊し、そこから「失われた10年」が始まり、さらに20年・30年と続いて今日に至っています。
 そして今年80歳は、その中を生き存えてきたことになるのですが、どん底からスタートして派手なピーク時を知り、その熱が冷めかけている80年の日本の歴史が、今年80歳になる世代の人生でもあるのです。
 果たしてそれで良かったのか。他に別の道があったのか。漠然とした疑問が付きまといます。

 そして最近、日本人の平均寿命が男女共に80歳を超え、「人生100年時代」とも言われるようになりました。それはそれで有り難いことかもしれませんが、まだピンとこないものがあるのです。
 何せ今の日本人にとっては初めての経験。私の若い頃には、周囲に80を超える高齢者なんて滅多に見かけませんでしたし、大体寿命は70歳前後くらいの感覚でしたから、100歳まで生きるお手本が少ないのです。

 そして80歳での気付き。「歳をとったら悠々自適」と若い頃思っていたことがありましたが、私にとっては当てはまりませんでした。それよりも「追い詰められた」「あとがない」という感覚が日々強まっているように感じます。

 つまりそれは「猶予感覚」の問題で、若い頃には、何か失敗しても、思い通りに事が運ばなくても、「急がなくても」とか「いつかどうにかなる」とか、「焦らなくても大丈夫」とする時間的な「余裕」、つまり「猶予」を自然な形で持ち合わせていたように思われるのです。極端に言ってしまえば、「若さとは、時間的な猶予を無意識に感じている事」と思っています。

 さて、80歳、90歳、100歳が多くなる時代。ニッポンはどうなって行くのでしょう。もうしばらくは私も、長寿社会を観察し続けることになりそうです。


 テレビ屋  関口 宏

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