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一国二制度

テレビ屋 関口 宏

 コロナ自粛でぼけっとしている時間が増えたせいか、それとも年齢のせいか、このところ昔の事を思い出すことが多くなりました。昨夜も、最近「国家安全維持法」なるものがまかり通ってしまった「香港」の昔を思い出していました。



 私が香港を初めて訪れたのはもう半世紀も前の事。まだ海外旅行に慣れていなかった日本人がとりあえず挑戦した海外の一つが香港でした。ハワイ、グアムもありましたが、それより香港にはなんとも言えない気楽さがあったような気がします。判らない言葉も漢字を見ればなんとなく見当がつくこともあり、どこか共通点があるような気もして安心だったのです。

 そして何と言っても同じ「箸」を使う文化。食事に苦労しない、いや苦労しないどころかその魅力に惹かれて香港へ行ったことも何回かありました。日本がまだそれほど豊かではなかった時代。中華といえばラーメン、チャーハン、酢豚。今でいう町中華に毛が生えた程度の料理しか知らなかった私が、飲茶(ヤムチャ)料理を知ったのも香港でした。湯気を立てながら次々ワゴンで回って来る蒸し物中心の料理の数々を、好きなだけ取って食べる方式に先ず驚き、その美味さにまた驚き、値段の安さにさらに驚き、そして香港の人達のこれが普通の昼食だと聞いて本当に驚きました。

 イギリス統治下の自由貿易港として、あの狭い地域に、高級住宅と雑然とした下町が隣り合う不思議な空気を漂わせて活気づいていた香港。アメリカ映画『暮情』もその辺りを上手く表現していて、ビクトリア・ピークと呼ばれる山頂から見た香港の夜景は、100万ドルの価値ありとも言われていました。

 ある時、これはテレビの取材だったのですが、香港から中国本土に入ってみようということになり、難しい手続きをして、列車で小一時間ほどの「広州」へ行ってみました。そう簡単には中国本土に入れなかった時代です。我々を見張る中国側の監視員にまず窮屈さを感じましたが、広州の駅に降りてびっくり。駅前広場には人、人、人、・・・・・。それが皆同じ黒っぽい人民服を着ている異様さ。通りにはほとんど自動車らしきものは見当たらず、ただただ自転車、自転車、自転車・・・・・。「この人たちは何をしているのですか?」と監視員に問いかけても、ただ肩をすぼめるだけ。すると香港から一緒に来たガイド役の通訳が、「きまった仕事がないんですよ」と小声で教えてくれました。
 「あぁ香港に戻りたい!」と一瞬で思ったくらい、香港と中国本土には、社会のあり方、人々の生き方の差が歴然としてありました。天気は良いのに、どんよりとした圧迫感が感じられ、若かった私には衝撃的な経験になりました。



 夜、大きな食堂に連れて行かれましたが、外国人は別室。「食の都・広州」という謳い文句が昔からあったくらいですから、それこそ豪華そうな料理が次々出てきましたが、それほどの感激はありません。するとまた通訳が小声で教えてくれました。「これは外国人からのドル稼ぎ。腕のいい料理人は香港へ行ってしまうんです。」

 あれから半世紀近く。中国も大きく変わりました。経済的な発展が要因なのでしょうが、元を正せば、資本主義を巧みに取り込んだ「一国二制度」を実現して来た香港の存在だったはずです。しかし今や上海や深圳が香港の役目を果たせるようになり、香港は厄介な存在に変わってしまったのでしょうか。

 香港の完全本土復帰まであと27年。自由と民主化を求めるあの若者達の行く末が案じられます。大蛇がゆっくり、ゆっくり獲物を飲み込んでゆくイメージが私には思い浮かぶのですが、世界は、そして日本は、香港をどう考えてゆくのでしょう。

♪ Love 〜 is a Many Splendored thing 〜♪   ナット・キング・コールが歌った、映画『慕情』のテーマ曲です。

     テレビ屋  関口 宏

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