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抵抗の形は暴力とは限らない

パレスチナ料理研究家 菅 梓

 2015年8月、わたしはヨルダン在住の友達の結婚式に出席するためヨルダンの首都アンマンに行った。せっかくアンマンまで来たのだから、とバスで一本で行けるエルサレムへ向かった。行きのバスの中でディアナというパレスチナ人女性と出会った。ローカルの家庭へ招待してもらい、パレスチナの観光ツアーでは見えにくい日々の出来事や文化、生き方について話を聞きパレスチナへの興味の芽が息吹いた。彼女との出会いをきっかけに2019年まで年に2回数カ月ずつ滞在し、現地の人の家でホームステイをしたり、難民キャンプで時間を過ごしたりして旅を続けている。

 中東、東地中海沿岸パレスチナの地に1948年5月15日、イスラエルが建国された。国連が採択したパレスチナ分割決議案によるものだ。そこでイスラエルでは5月15日を建国記念日とし、分割されたパレスチナではナクバ(アラビア語で大災厄)の日となっている。この日以降イスラエルと周辺アラブ諸国を含むパレスチナでは戦争、軍事衝突が続いている。

 分割決議案により、世界中に“パレスチナ人”と呼ばれる人が拡散し、パレスチナ難民は500万人以上いると言われている。今まで住んでいた場所を追われ国外へ避難した人、現在のパレスチナ自治区(ヨルダン川西岸地区)に残った人、現在のイスラエルに残った人…。混沌とするパレスチナ、イスラエル問題は解決しそうにない。それどころかパレスチナ難民となった人たちは元の家に70年以上も帰還することができないでいる。一方、イスラエルは圧倒的な武力を背景に広がり続けている。


エルサレムの市街地で

  パレスチナ音楽を世界に

 パレスチナ音楽を世界へ届けるためのショーケースイベントである「Palestine Music Expo PMX 」のボードメンバー、ラミはわたしにこう語った。

 「パレスチナと聞くと、かわいそうとか、犠牲者とかそういった言われ方をするけど、こんなに素晴らしいミュージシャンがいるんだよ、こんな素敵な音楽、ミュージシャンたちを知らない人たちこそかわいそうってもんだよ。このイベントを機に海外進出し、パレスチナの存在をアピールするアーティストもいる。音楽が通行手形にだってなりえるんだ」。

 占領の犠牲者は占領されている地の人だけではない、占領によって彼の地の素晴らしい文化へのアクセスが困難になったのに、まるで他人事のように傍観している人たちこそ、その犠牲者であるということを訴えていた。そう聞くと、抵抗の手段は暴力だ!と決まっているわけではない。音楽も抵抗の1つの手段となり得るのではないだろうか?と感じる。

 1987年12月、イスラエル軍のトラック事故によりパレスチナ人4名が死亡したことに端を発し、パレスチナ民衆が武力によって蜂起し第一次インティファーダーが起きた。イスラエルの占領に対して市民が武力を用いた抵抗活動を始めたのだ。2000年にはイスラエルのシャロン首相(当時)がエルサレムにあるイスラム教の聖地であるアルアクサモスクと岩のドームのある神殿の丘に登った。この挑発行為への反発として第二次インティファーダーと呼ばれる民衆蜂起があった。その後、大規模な武力抵抗は起きてはいない。しかし占領が進み入植地があらゆるところに建設されていくことに、パレスチナの民衆が賛成しているわけではない。もしかしたら無抵抗は政治への失望であり諦めなのかもしれない。

  710キロの分離壁に阻まれる交流

 パレスチナで人気のロックバンド、「Apo and the Apostles」。アポを囲んだその仲間たちで編成される5人組のバンドだ。
 このバンドはパレスチナの現状を表すバンドの1つかもしれない。 パレスチナは狭い国であるにもかかわらず、主要幹線道路へのアクセスが分離壁によってかなり困難になっている。

 ボーカルのアポはエルサレム旧市街にあるアルメニア地区の出身。エルサレム旧市街はイエスキリスト埋葬地とされる聖墳墓教会、イスラム教の聖地アルアクサモスク、岩のドーム、ユダヤ教の聖地神殿の丘を有する聖地の坩堝である
 ベースのアミール、トランペットのフィラス、ギターの ビクターはヨルダン川西岸地にあるベツレヘムに住んでいる。ベツレヘムは2012年にイエス生誕の地として世界遺産、危機遺産に認定されている。ドラムのピエールはパレスチナの政治の中枢であるラマッラーに住むパレスチナ人だ。彼らが集まり練習をすることは分離壁により困難を極める。分離壁とはイスラエルが建設したパレスチナとの境界線のパレスチナ側に建設している高さ8メートル、総延長710キロメートルにもなる分断の壁だ。この壁を越えるには検問所の通過が必要となる。パレスチナ人はこの検問所を通過するために許可証の取得をしなければならない。
 ラマッラー(パレスチナの行政の中心地)とベツレヘムも分離壁に阻まれスムースに行き来することは難しく、バスで3時間はゆうにかかる。距離にして20キロそこらなのに。分離壁を迂回し、移動するそんな不自由な生活が今や当たり前になっている。彼らが歌うのは週末のサバーバロック。サバーバとはアラビア語で「いいね!」とかそういったときに使う単語だ。ヘブライ語でも同じように使われている。彼らの主張は、週末は飲んで騒いで大いに楽しもう!というものだ。これも占領には屈せず生きている証の歌のように思える。
 彼らはこのように語っている。
 「イスラエルでライブをするよりも海外でライブをする方が簡単だ」。


5人組のApo and the Apostles

  テルアビブでライブ!検問所を越えて

 「テルアビブでライブをする。こんな機会めったにないから来ない?一緒に検問所を越えてさ」。
 ベースのアミールから誘いの連絡があった。
 アミールの居住地ベツレヘムからテルアビブは距離にして約75キロ。東京から箱根くらいであろう か。その心的距離は物理的距離以上に遠い。
 2019年5月2日夜イスラエルの商都テルアビブがアラビア語で溢れた。 テルアビブに合併された古い港町、ヤッファでRoots of Art という音楽イベントが開催されたのだ。出演アーティストはイスラエルに住むアラブ人ミュージシャン2組、そして件のApo and the Apostles。8メートルもの壁で隔てられたアーティストがテルアビブに集う。
 わたしはそんな特別な夜に向けてベースのアミールに同行した。 16時にベツレヘムの分離壁のイスラエル側、検問所前に車が迎えに来る。それまでにこの壁を越えなければならない。私たちはベツレヘムの観光スポットバンクシーホテルから歩いて検問所に向かった。 検問所前の長い回廊を歩きながら建物の中へ入っていく。

  楽器の証明を求める検問所

 「ここは空港だから」
 アミールはこの理不尽な建物へユーモアで対抗する。 検問所は空港の保安検査場さながら小綺麗で電子化が進んでいる。建物も不気味なほど綺麗になり、BGMまで流れている。わたしはパスポートを見せすぐに通過できたが、パレスチナ人のアミールはIDカードを電車のゲートのような機械にかざして通過し、検問所職員には許可証を見せる。ベースを抱えたアミールは職員にベースが楽器であることを説明している。何度も質問され何度も同じように答える。検問所を通過した分離壁の向こう側と言ってもグリーンラインのパレスチナ側ではあるが、分離壁があるというだけでどこも同じような光景が広がっている。同じような乾いた空気とオリーブの木が生える光景、そこに8メートルもの壁が先が見えなくなるまで続いていることの方が異質である。

 分離壁前にエルサレムからアポを乗せたバンが到着している。ベツレヘムにいるメンバーとも合流した。そこからラマッラーに住むメンバーが越える分離壁の検問所まで迎えに行く。
 いざテルアビブへ!テルアビブは地中海に面するイスラエルの商都で“聖地”とはかけ離れたリゾート地だ。街には水着姿で歩く女性もいれば、同性カップルが所構わずキスしていたり、高層ビルも立ち並んでいたりと都会の様相だ。 会場に到着するとテルアビブとは思えないくらい、アラビア語が飛び交っている。ヘブライ語(イスラエルの公用語)は全く聞こえない。 出演者、スタッフ、そして会場のお客さんもアラブ系、イスラエルに住むパレスチナ人だ。テルアビブがアラビア語に染まる夜が始まろうとしている。
 会場は着実に設営が進み警備員たちが配置されている。内庭に通じるドアの前にも警備員が立っている。私たちがドアを開けようとすると警備員に制される。
 あれ?何か言っている。
 警備員はヘブライ語で喋っていた。
 ここはパレスチナの政治の中心地であり高層ビルや各国大使館の機能を有する政府代表事務所が所在する町ラマッラー。おしゃれなカフェもたくさんありパレスチナの文化の中心地でもあり、パレスチナミュージシャンのライブに遊びに行くので、いつもならアラビア語しか聞こえない。だけどここはラマッラーじゃない。テルアビブ、イスラエルのど真ん中だ。

  誰も死なない、けがしない抵抗

 「内庭に友達が先に行っていて、それでおいでってメッセージもらったから通してくれる?」
 そう英語で警備員に言っても英語も通じなかった。関係者パスを見せてもダメと言われる。警備員も困惑した表情をしている。そりゃそうだ、普段ならアラビア語を話せる人に遭遇してもヘブライ語がマジョリティーの場所にいるのだから。(イスラエルの人口比は8:2でユダヤ系と比べてアラブ人が少ない)ヘブライ語とアラビア語ができる人を見つけやっとのことで内庭に通じることができた。 警備員も安堵の表情だった。きっと彼らもアラビア語にこんなに囲まれることは初めての経験だったに違いない。
 会場内を見渡すと、やはり観客たちの口からはアラビア語が溢れ出していた。誰も彼もアラビア語を喋る。もしかしたら、セキュリティチーム以外はアラビア語ネイティブの人たちなのかもしれない。
 ステージもアラビア語、客席からの黄色い声もアラビア語。一夜限りこの場所はアラブと化した。ここに来ているアラブ人のほとんどはヘブライ語だって出来るはずなのに。
 東エルサレム、シルワン地区に住むマラハもテルアビブまで来ていた。彼女に話を聞くと、観客はテルアビブからだけでなく、マラハのように分離壁に阻まれないエルサレムからの人、イスラエル北部ハイファ、ナザレからも多数来ている、とのことだ。この日ばかりは国籍がイスラエルであろうと、東エルサレム住民であろうと、パスポートがどうであろうと、パレスチナ人としてみんなが音楽を楽しんでいた。


マラハ(左)と筆者(右)

 マラハには目標があると言う。
 「こういうイベントをエルサレムでしたいのよ。しかも東エルサレムでね。 ナザレからもハイファからも、そして西岸からもパレスチナ人みんな集まってアラブの音楽を、ライブを楽しみたいの。今はまだ分離壁とチェックポイント(検問所)がね。でもいつか必ずやりたいわ。」
 ステージ上からも『ファラスティーン(アラビア語のパレスチナ)』と響き渡る声が聞こえる。 このイベントはデモではない、ただの音楽イベントだ。しかし音楽が原動力となり、誰も怪我しない、死なない、そんな抵抗運動の一端を見たような気がした。

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