近代国家か藩主政治か分かれ道
塾長  君和田 正夫
菅新内閣で行政・規制改革の陣頭指揮を任されたのは河野太郎担当相です。先進国から落ちこぼれそうになっている日本。国際的に多くの分野でランクを落とし続けています。国際特許の出願件数、科学論文の数といった科学競争力、女性の社会進出、子供の幸福度など途上国並みのものが目立つようになってきました。コロナ禍と首相交代で一挙にあらわになった日本の現状。それをぶち破るための行政改革ですが、最優先で求められるのは政治自身の改革です。河野大臣一人が力んでも実現できません。自民党には政治制度改革実行本部があります。昔の日本を取り戻すか、藩主政治ニッポン、同族経営ニッポン、に落ち込むか、私たちは大事な分岐点に来ています。
菅内閣を見ると20人の閣僚のうち11人が世襲、あるいは世襲とみなしていい人です。半分を超えています。行政・規制改革の河野さん、あなたもその一人ですね。祖父河野一郎は農林大臣、建設大臣、副総理の経験者、父河野洋平は自民党総裁、大叔父河野健三は参議院議長。実に華麗な政治一家です。
新内閣は社会縦割り行政や既得権益の打破など規制改革に取り組むことを宣言しています。河野大臣の思い切った行動力・発言力を売りにデビューさせようとしたのでしょうが、いささか期待外れでした。
3000通も来た「行政改革目安箱」は読み切れなくなったのでやめよう。就任後、深夜に開く記者会見、もっと早い時間にやろう。IT国家を目指してどの省庁もハンコは原則廃止だ…。いずれも大臣就任の大見得なのでしょう。しかし菅内閣のパフォーマンスとすればなんとも安っぽいではありませんか。いずれも役所や記者クラブを脅せばすぐできることです。安倍政権は7年もかけて、言いなりになる役所づくりと記者クラブの口封じに専念してきたのですから。
しかし2018年の7月に自民党は再度、世襲の制限に挑戦しました。自民党は閉鎖的で不公正な政党でなく、開かれた党を目指すとして「政治制度改革実行本部」が改革案を出しました。しかしこれもゆるーい対応策にとどまりました。
どのような改革案だったのか。そのきっかけになる二件の引退騒動を紹介します。政界内部、そしてメディアでも問題視されたので覚えている人も多いでしょう。
2017年の衆院選は10月10日公示、22日投開票でした。山口1区で当時の高村正彦議員(自民)は9月25日に引退を表明し、息子を後継に指名しました。公示まで2週間、投票まで1カ月足らず。そんな短期間で立候補を準備できる人は、まずいないでしょう。できるのは引退を表明した本人の関係者だけです。息子さんは当選しました。驚くことは高村氏がこの選挙の時、政治制度改革実行本部長を務めていたことです。
もう一件。鹿児島の保岡興治議員(故人=自民党)は、同じ2017年の衆院選で公示2日前に突然不出馬宣言をし、息子が後継で立候補しました。引退の理由は膵臓がんでしたが、「電撃的な世襲」(西日本新聞)に批判が集まりました。息子さんは落選しました。
ついでに触れますと、高村正彦氏、安岡興治氏とも父親が衆議院議員の二世です。
世襲一族に有利な選挙直前の引退宣言。選挙の私物化。さすがに自民党も改革案を出さざるを得なかったのでしょう。引退する議員は任期満了の2年前までに引退を表明する、世襲は公認しないなどの対策が考えられましたが、2年前だと議員として「死に体」になってしまう、などの反対で実現しませんでした。それだけ世襲議員の力が強いということでしょう。それを承知の党としても世襲制限のポーズだけは取り続けよう、ということでしょうか。
世襲の最大の問題点は、新規参入が減る、政界への人材補給が細ってしまう、ということでしょう。それに伴って新しい視点からの政策立案も減る、ということになります。日本は同族経営の国になろうとしているのです。
選挙にはおカネがかかります。選挙に出る場合の供託金は選挙区の場合は300万円、比例代表区で600万円です。一定の票数を取れないと没収されてしまいます。この金額は立候補の高い壁になりかねません。
コロナ禍で問題点が浮き彫りにされた派遣労働者や非正規労働者、子供のいる女性労働者たちが立候補して自分たちの考えを訴えようとしても難しい、ということになります。
こうした声を国会に反映させことができないから「目安箱」などというパフォーマンスが必要になるのです。多様な人材が議員になる道を広げる、それが最優先で行われなければなりません。
政党交付金についても同じです。共産党だけが交付金を受けていませんが、外国を見ても日本のように巨額の交付金を支給している国はありません。
小選挙区制を中心に選挙制度全体を見直す時期に来ています。
「世襲政治家がなぜ生まれるのか? 元最高裁判事は考える」の著者 福田博氏は一票の『格差』こそが民主主義を滅ぼす、として次のように書いています。 「二世、三世の議員が増加した国会を見ていると、もしかしたら、我が国は、いわば江戸時代中期に戻ったのではないかと思うことがある」「わが国は、自浄能力に乏しい国ではないのか。現在の選挙システムは、まさにそのような自浄能力を欠いた積み重ねの結果にほかならない」
既得権益の代表は世襲議員
安倍政権が残すことができなかったレガシー。彼が去ったあと、今求められているレガシーの有力候補は選挙制度を中心にした政治の改革です。なかでも何度も批判の対象になっている世襲議員と小選挙区制の改革です。世襲議員は「既得権益」の代表選手です。菅内閣を見ると20人の閣僚のうち11人が世襲、あるいは世襲とみなしていい人です。半分を超えています。行政・規制改革の河野さん、あなたもその一人ですね。祖父河野一郎は農林大臣、建設大臣、副総理の経験者、父河野洋平は自民党総裁、大叔父河野健三は参議院議長。実に華麗な政治一家です。
新内閣は社会縦割り行政や既得権益の打破など規制改革に取り組むことを宣言しています。河野大臣の思い切った行動力・発言力を売りにデビューさせようとしたのでしょうが、いささか期待外れでした。
3000通も来た「行政改革目安箱」は読み切れなくなったのでやめよう。就任後、深夜に開く記者会見、もっと早い時間にやろう。IT国家を目指してどの省庁もハンコは原則廃止だ…。いずれも大臣就任の大見得なのでしょう。しかし菅内閣のパフォーマンスとすればなんとも安っぽいではありませんか。いずれも役所や記者クラブを脅せばすぐできることです。安倍政権は7年もかけて、言いなりになる役所づくりと記者クラブの口封じに専念してきたのですから。
世襲制限はつぶされた
菅首相は “たたき上げ”の議員で、世襲ではありません。選挙対策副委員長だった2009年の総選挙では世襲候補の制限を盛り込もうとしました。世襲は自民党議員に目立ち、3割ほどを占めております。このままでは「世襲以外の人が立候補をあきらめてしまう」ということで、菅副委員長は世襲候補を制限する案を示したのですが、反対が強くうまくいきませんでした。しかし2018年の7月に自民党は再度、世襲の制限に挑戦しました。自民党は閉鎖的で不公正な政党でなく、開かれた党を目指すとして「政治制度改革実行本部」が改革案を出しました。しかしこれもゆるーい対応策にとどまりました。
どのような改革案だったのか。そのきっかけになる二件の引退騒動を紹介します。政界内部、そしてメディアでも問題視されたので覚えている人も多いでしょう。
2017年の衆院選は10月10日公示、22日投開票でした。山口1区で当時の高村正彦議員(自民)は9月25日に引退を表明し、息子を後継に指名しました。公示まで2週間、投票まで1カ月足らず。そんな短期間で立候補を準備できる人は、まずいないでしょう。できるのは引退を表明した本人の関係者だけです。息子さんは当選しました。驚くことは高村氏がこの選挙の時、政治制度改革実行本部長を務めていたことです。
もう一件。鹿児島の保岡興治議員(故人=自民党)は、同じ2017年の衆院選で公示2日前に突然不出馬宣言をし、息子が後継で立候補しました。引退の理由は膵臓がんでしたが、「電撃的な世襲」(西日本新聞)に批判が集まりました。息子さんは落選しました。
ついでに触れますと、高村正彦氏、安岡興治氏とも父親が衆議院議員の二世です。
世襲一族に有利な選挙直前の引退宣言。選挙の私物化。さすがに自民党も改革案を出さざるを得なかったのでしょう。引退する議員は任期満了の2年前までに引退を表明する、世襲は公認しないなどの対策が考えられましたが、2年前だと議員として「死に体」になってしまう、などの反対で実現しませんでした。それだけ世襲議員の力が強いということでしょう。それを承知の党としても世襲制限のポーズだけは取り続けよう、ということでしょうか。
世襲の最大の問題点は、新規参入が減る、政界への人材補給が細ってしまう、ということでしょう。それに伴って新しい視点からの政策立案も減る、ということになります。日本は同族経営の国になろうとしているのです。
立候補に“おカネ”の高い壁
弊害が分かっていても制限できない、なぜなのか。選挙区を引き継ぐ二世、三世側から見ると、“おいしい“からです。親の選挙事務所、肩書、地位、資金力などを引き継げば、他の候補より圧倒的に有利になります。親の時代の資金管理団体が持っている資金は、子供は非課税で相続できるのです。選挙にはおカネがかかります。選挙に出る場合の供託金は選挙区の場合は300万円、比例代表区で600万円です。一定の票数を取れないと没収されてしまいます。この金額は立候補の高い壁になりかねません。
コロナ禍で問題点が浮き彫りにされた派遣労働者や非正規労働者、子供のいる女性労働者たちが立候補して自分たちの考えを訴えようとしても難しい、ということになります。
こうした声を国会に反映させことができないから「目安箱」などというパフォーマンスが必要になるのです。多様な人材が議員になる道を広げる、それが最優先で行われなければなりません。
小選挙区制を見直す時期
1994年に政治改革4法が成立しました。その中の小選挙区制は当時、派閥選挙、地元への利益誘導型選挙を解消し、安定政権が可能になる、政権交代の可能性を高める、など賛成意見が多かったと記憶しています。しかし現在では安倍長期政権や多数派(与党)によるごり押しなどのマイナスが目立つようになってきました。政党交付金についても同じです。共産党だけが交付金を受けていませんが、外国を見ても日本のように巨額の交付金を支給している国はありません。
小選挙区制を中心に選挙制度全体を見直す時期に来ています。
「世襲政治家がなぜ生まれるのか? 元最高裁判事は考える」の著者 福田博氏は一票の『格差』こそが民主主義を滅ぼす、として次のように書いています。 「二世、三世の議員が増加した国会を見ていると、もしかしたら、我が国は、いわば江戸時代中期に戻ったのではないかと思うことがある」「わが国は、自浄能力に乏しい国ではないのか。現在の選挙システムは、まさにそのような自浄能力を欠いた積み重ねの結果にほかならない」