朝日よ、記者の道を進もう
塾長  君和田 正夫
ケーブルテレビで米国映画「ペンタゴン・ペーパーズ」を見ました。言論の自由が国家権力に打ち勝つという、メディアに関わる人間にとっては何度見ても「心地よい」映画です。トム・ハンクス扮するワシントンポストの論説主幹ベン・ブラッドリーが記者時代に親しくしていたジョン・F・ケネディーの言葉を振り返ります。
「両方はダメだ。記者か友人か、どちらかだ」
菅首相になって首相の動静欄の読み方が変わりました。欄の名前は新聞によって異なります。朝日が「首相動静」、毎日は「首相日々」、読売は「菅首相の一日」といった具合ですが、安倍時代と違って朝の動静から目が離せなくなりました。
「菅義偉首相は3日午前、東京都渋谷区のレストランで、内閣記者会に所属する記者と食事を共にする懇談会を開いた。」
「朝日新聞の記者はこの懇談会を欠席しました。首相は日本学術会議の新会員に6人を任命しなかった問題をめぐり『法に基づいて適切に対応した結果です』と記者団に答えるにとどめています。朝日新聞は、首相側に懇談ではなく記者会見などできちんと説明してほしいと求めています。首相側の対応が十分ではないと判断しました。」
内閣加盟19社のうち参加は16社。朝日のほか東京新聞、京都新聞も同じような理由で欠席しました。
内閣記者会はこれほど屈辱的な取材方式をどうして受けたのでしょうか。
朝日よ、毎日よ、東京よ、この「インタビュー」こそ、ボイコットすべきだった、と思いませんか。毎日は昨年11月20日、安倍首相と各社キャップとの懇談会を欠席した実績があります。グループ・インタビューという名のマスコミつぶし策は安倍政権以上に悪辣です。
当然ボイコットに反対の社が出るでしょう、いいじゃないですか、突っ張りましょう。
「懇談」に戻ります。「昨日の懇談、何かあった?」。私が現役時代、懇談は政治報道に限らず経済報道でも日常的に行われていました。オフレコがほとんどだったので、懇談に出なかった記者が翌日、他社に聞いてくることさえあったのです。私の経験では「何かあった」試しはありません。懇談への批判が出ると「私たちも悩みながら懇談に出ているのです」という弁明を聞きますが、それは安っぽい“良心のアリバイ作り”でしかありません。残念ながら、私たちの時代は弁明さえ求められませんでした。
時代や国を問わず、政治とメディアは言論の自由を挟んで付かず離れずの関係を保ち、結局は権力が主導する関係でした。朝日新聞の大先輩である杉村楚人冠(1872~1945)は『山中説法』の中で次のように書いています。
「スターリンにしても、ムッソリーニにしても、前身は新聞記者であった。それが今では新聞紙圧迫の暴君となっている」
政治とメディアは硬貨の裏表だと歯ぎしりしているように読めます。この本はアマゾンで買った古本です。「昭和十一年三版」とありますので、私が生まれる前の出版です。引用した部分に赤線が引かれていて、私と嘆きを共有した読者がいたことを示していて、うれしい気がしました。
もう「懇談」はやめましょう。記者クラブの担当者、報道関係者だけではありません。メディアの場合、もう一つ問題になるケースは経営者と首相の懇談です。これも止めましょう。業界として政治との接点が必要ならば、業界団体(例えば新聞協会)が接点を作るべきでしょう。
もちろん「グループ・インタビュー」などはもってのほかです。本来の記者会見の回数を増やすこと、そして特権的で閉鎖的な記者クラブを改革することです。日本新聞協会、民間放送連盟、日本記者クラブは現場のこうした問題に、無神経過ぎないでしょうか。新聞協会は新聞倫理綱領を制定しています。ルール集「取材と報道」は今でも私の手元にあります。こうした取り決めを「きれいごと」に終わらせない責任が各団体にはあるはずです。
ここまで書き終わって、「首相動静」(23日)を眺めたら、あっと驚きましたね。「新聞・通信各社の論説委員らと懇談」「在京民放各社の解説委員らと懇談」「内閣記者会加盟報道各社のキャップと懇談」という「懇談」3連発。その前13日夜も内閣記者会加盟報道各社のキャップと懇談。顔合わせ懇談でしょうか。
記者でもあり、友人でもあり続けるのですね。
「両方はダメだ。記者か友人か、どちらかだ」
◇
菅首相になって首相の動静欄の読み方が変わりました。欄の名前は新聞によって異なります。朝日が「首相動静」、毎日は「首相日々」、読売は「菅首相の一日」といった具合ですが、安倍時代と違って朝の動静から目が離せなくなりました。
3社が欠席した朝の懇談
10月4日の動静欄(朝日新聞)は「午前7時24分、東京・神宮前のレストラン『 Eggs ‘n Things原宿店』」で始まります。「報道各社の首相番記者と懇談」と続きました。目を引いたのはその動静欄に寄り添うベタ記事でした。「菅首相が懇談会 朝日記者は欠席 内閣記者会と食事」。「朝日、やったな!」と思った瞬間でした。記事とそれに続く欠席理由は次の通りです。◇
「菅義偉首相は3日午前、東京都渋谷区のレストランで、内閣記者会に所属する記者と食事を共にする懇談会を開いた。」
「朝日新聞の記者はこの懇談会を欠席しました。首相は日本学術会議の新会員に6人を任命しなかった問題をめぐり『法に基づいて適切に対応した結果です』と記者団に答えるにとどめています。朝日新聞は、首相側に懇談ではなく記者会見などできちんと説明してほしいと求めています。首相側の対応が十分ではないと判断しました。」
◇
内閣加盟19社のうち参加は16社。朝日のほか東京新聞、京都新聞も同じような理由で欠席しました。
内閣記者会は屈辱と思わないのか
懇談の直後の10月5日、9日と続けて「グループ・インタビュー」という奇妙な首相インタビューが行われました。5日は読売、日経、北海道新聞の三社が、二回目の9日は毎日、朝日、時事の三社がインタビューしました。質問できるのは三社だけ。他のメディアはそのやり取りを「傍聴」するという異様なスタイルです。二回目に傍聴した「日刊ゲンダイ」の記事によると、首相の声は天井の二か所のマイクから聞こえてくるだけ。姿を見ることもできない。本当に首相が話しているのか、自分で確認できない。「国のトップがこのように閉鎖的な会見をするのは聞いたことがない」という外国人記者の感想はもっともです。内閣記者会はこれほど屈辱的な取材方式をどうして受けたのでしょうか。
朝日よ、毎日よ、東京よ、この「インタビュー」こそ、ボイコットすべきだった、と思いませんか。毎日は昨年11月20日、安倍首相と各社キャップとの懇談会を欠席した実績があります。グループ・インタビューという名のマスコミつぶし策は安倍政権以上に悪辣です。
当然ボイコットに反対の社が出るでしょう、いいじゃないですか、突っ張りましょう。
「懇談」に戻ります。「昨日の懇談、何かあった?」。私が現役時代、懇談は政治報道に限らず経済報道でも日常的に行われていました。オフレコがほとんどだったので、懇談に出なかった記者が翌日、他社に聞いてくることさえあったのです。私の経験では「何かあった」試しはありません。懇談への批判が出ると「私たちも悩みながら懇談に出ているのです」という弁明を聞きますが、それは安っぽい“良心のアリバイ作り”でしかありません。残念ながら、私たちの時代は弁明さえ求められませんでした。
時代や国を問わず、政治とメディアは言論の自由を挟んで付かず離れずの関係を保ち、結局は権力が主導する関係でした。朝日新聞の大先輩である杉村楚人冠(1872~1945)は『山中説法』の中で次のように書いています。
「スターリンにしても、ムッソリーニにしても、前身は新聞記者であった。それが今では新聞紙圧迫の暴君となっている」
政治とメディアは硬貨の裏表だと歯ぎしりしているように読めます。この本はアマゾンで買った古本です。「昭和十一年三版」とありますので、私が生まれる前の出版です。引用した部分に赤線が引かれていて、私と嘆きを共有した読者がいたことを示していて、うれしい気がしました。
懇談はやめ堂々会見で
私の結論です。もう「懇談」はやめましょう。記者クラブの担当者、報道関係者だけではありません。メディアの場合、もう一つ問題になるケースは経営者と首相の懇談です。これも止めましょう。業界として政治との接点が必要ならば、業界団体(例えば新聞協会)が接点を作るべきでしょう。
もちろん「グループ・インタビュー」などはもってのほかです。本来の記者会見の回数を増やすこと、そして特権的で閉鎖的な記者クラブを改革することです。日本新聞協会、民間放送連盟、日本記者クラブは現場のこうした問題に、無神経過ぎないでしょうか。新聞協会は新聞倫理綱領を制定しています。ルール集「取材と報道」は今でも私の手元にあります。こうした取り決めを「きれいごと」に終わらせない責任が各団体にはあるはずです。
ここまで書き終わって、「首相動静」(23日)を眺めたら、あっと驚きましたね。「新聞・通信各社の論説委員らと懇談」「在京民放各社の解説委員らと懇談」「内閣記者会加盟報道各社のキャップと懇談」という「懇談」3連発。その前13日夜も内閣記者会加盟報道各社のキャップと懇談。顔合わせ懇談でしょうか。
記者でもあり、友人でもあり続けるのですね。