記事応募にはログインが必要です

パスワードを忘れた方はこちら

継続は、力なり ~好きだから続けられる 8/8

  松尾 英里子 / 白鳥 美子

 大学卒業後、就職した会社でも卓球部をつくって活動していたが、結婚を機に10年ほど卓球から離れた時期があった。
 「今と違って、結婚したらやめるというのが常識でしたからね」
 5年目に長男の彬良さんが生まれた。
 「彬良が5歳くらいの時に、渋谷区の卓球大会に出たら、『とても上手だから、都民大会の渋谷区代表になってほしい』と言われたんです。それで、出たんですけど、すぐに次の子ども(長女)ができて、また、やめました」
 本格的に再開したのは、二人目のお子さんが2歳になった頃だ。渋谷区の大会で知り合った人たちとクラブを作った。
 それほどまでに夢中になっている卓球の魅力はどこに?と聞くと、「全部が好きなんですよね」と笑う禮子さん。体育館から打球音が聞こえてくると、今もワクワクする。
 「私は、走るのはすごく遅いんですけど、スタートダッシュはとても速いんです。だから、卓球には向いているみたい」
 卓球はゲームだから、とても楽しい。そう楽しさを語る一方で、禮子さんはこう言い切った。
 「勝ちたいと思ってやっている。みんなそうですよ、私だけじゃなくて」
 だからこそ、YouTubeで海外の選手の試合映像を探し、自らのプレースタイルの参考にしようという発想が生まれ、さらに、それを実践するために努力できるのだろう。
 「ずっと勝てなかった人に、戦法次第で勝てるようになったりする。面白いですよ」
 今も、週に2度は練習場に通い、次の大会での勝利を目指す。好きな言葉だという「継続は力なり」を、まさに、その生き方が体現している。


2012年ストックホルム世界大会

 禮子さんは、50歳の時に英語を習い始めた。
 「趣味で切手を集めていて、世界中の方とのやり取りを自分でやりたいなと思ったのがきっかけです。卓球の世界大会に行ったときに、他の国の方たちと友達になれるのも嬉しいですね」
 英語が話せるようになって、世界が広がった。「大きな転機でした」
 さらに、その後、もう一つの大きな転機となったのが75歳でパソコンを習い始めたことだ。
 「おかげで、卓球の試合の映像を探して見ることができるようになりました」――それが、今回の優勝にもつながっていった。
 「主人がいれば(※夫の泰さんは、2006年に死去)、主人が世間との窓口になってくれますけど、一人だと、何にもわからなくなってしまう。英語とパソコンが世間とのつながりをつくってくれています」
 禮子さんの「窓」は、91歳の今も、大きく外に向かって開いている。






※インタビュアー 左:松尾英里子 中央:宮川禮子さん  右:白鳥美子 (インタビューを終えて)






■宮川禮子(みやがわ・れいこ)さん プロフィール
1932年4月23日 東京府西多摩郡武蔵野町西窪生

(転々とした学校の記録)
1939年 杉並区立桃井第一小学校入学/1940年 私立武蔵野学園に転校/1941年3月 名古屋市山吹尋常小学校に転校/1944年9月 福島女子師範学校附属小学校に転校/1945年 福島県立第一女学校入学/1945年12月 石川県立金沢第二女学校に転校/1947年4月 私立梅花高校/1947年9月 大阪府立勝山高校に転校/1948年4月 大阪府立桜塚高校に転校/1950年 大阪学芸大学入学/1954年3月 同大学を卒業

(卓球歴) 1948年 石川県軟式選手権 新制高校の部2位/1949年 大阪高校選手権3位/1952年  第7回国体出場/1952年 全国学芸大学体育祭優勝/1982年 第一回世界ベテラン大会  50歳の部優勝/1992年 第6回世界ベテラン大会60歳の部ダブルス2位/1993年 全国軟式選手権60歳の部2位/1994年 全日本社会人選手権60歳の部3位/1994年 全日本軟式選手権60歳の部3位/1994年 第7回世界ベテラン大会60歳の部ダブルス3位/2002年 第11回世界ベテラン大会70歳の部ダブルス3位/2012年 第16回世界ベテラン大会80歳の部シングルス3位ダブルス2位/2014年 東京選手権80歳の部3位/2014年  第17回世界ベテラン大会80歳の部ダブルス2位/2017年 全日本マスターズ85歳の部3位/2018年 東京選手権85歳の部2位/2018年 第19回世界ベテラン大会85歳の部優勝/2019年 東京選手権85歳の部3位/2023年 東京選手権90歳の部優勝

コメント投稿にはログインが必要です

パスワードを忘れた方はこちら

こちらのコメントを通報しますか?

通報しました