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なぜ、英国は離脱を選んだのか

在英ジャーナリスト  小林 恭子

 英国は、今年、欧州連合(EU)から本格的に離脱した。加盟国が離脱するのは英国が初である。一体なぜ、英国はEUから離脱することにしたのだろう?
 離脱の引き金を引いたのは、2016年6月に行われた、離脱か残留かを決める国民投票だった(離脱が約52%、残留が48%の僅差となった)。しかし、国民投票に至る前に、いくつかの要因があった。

  欧州大陸を外国と見る英国人

 まず、英国は地域的には欧州に入るのだが、英国で「欧州」という時、英国に住む自分たちは意識としては中に入っていない。英仏海峡で隔てられていること、過去数世紀にわたり欧州大陸の各国と戦争をしてきた歴史的経緯などによって、こうした感覚が培われたのかもしれない。
 また、大英帝国の過去を持つことから、「自力でやっていける」という自負心もある。
 そんな英国であるので、第2次世界大戦後、フランスとドイツが二度と戦争をしないようにという願いのもとに欧州石炭鉄鋼共同体(フランス、西ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク)が発足したが、その後規模が大きくなっても英国は参加しないままでいた。
 英国の加盟は、1973年になってから。経済上の利点があるとみて、EUの前身である欧州共同体(EC)に入った。
 しかし、経済的統合を政治面、安全保障面にまで広げる流れが出てくると、英国内に「ちょっと、待てよ」という危機意識が広がっていく。1993年、統合深化の一歩としてマーストリヒト条約が締結され、ECはEUとして発展した。単一通貨ユーロの創設も決められた。
 英政府はユーロに参加しないことを決めた。後に離脱運動を主導する「英国独立党」は条約締結反対派の流れから生まれてくる。「EU懐疑派」と呼ばれる勢力が与党・保守党(サッチャー政権は1979-90年、メージャー政権は1990-97年)の中に根を張った。
 EUは「官僚主義の象徴」と見なされ、EUについての批判的な論調が保守系新聞に頻繁に掲載された。ちなみに、EU=悪しき官僚体制の権化、として茶化す記事をたくさん書いたのが、保守系テレグラフ紙のブリュッセル特派員ボリス・ジョンソン氏(現在の英首相)である。


「英国よ、発射に向けて準備しよう」という見出しで、離脱交渉の合意を喜ぶ、保守系大衆紙「デイリー・エクスプレス」の1面
(12月26 日付、BBCニュースのサイトより)

  2004年の東方拡大に不満

 2004年、離脱志向を生み出すきっかけとなった事態が発生した。EUが旧東欧諸国を中心とした10カ国を新加盟国として迎えたのである。
 当時、ほとんどの加盟国が「猶予期間」を設定し、新加盟国の国民への対応に一定の制限をかけた。しかし、英国は当初から無制限で、英国民と全く同様に英国を旅行し、働き、勉強し、社会福祉を受ける権利を与えていた。国際語である英語が使えるという利点もあって、ポーランド、ハンガリー、スロバキアなどから多くの人が英国にやってきた。
 学校、職場、病院、レストランなどに新EU市民の姿が目に付くようになった。病院の医師や看護師、左官、水道修理工、レストランのウェイター、隣人がポーランド人やハンガリー人、チェコ人となり、英国人より良く働いた。
 英国にはこれまでにも多くの移民が住み付いている。筆者自身の移民としての生活実感からも特に反移民感情が強い国ではない。しかし、「急に増えた」感じがあり、新EU市民に対し否定的な感情を持つ人の気持ちは理解できる。学校では生徒数が急に増えて新たな学級を作らなければならなくなったり、病院は以前よりも待ち時間が長くなったりした。あちこちに新加盟国の食料品を販売する店ができた。
 働き者で教育程度も高そうな新EU市民に「仕事を取られた」という思いが、一部の白人労働者階級の中で広がった。東欧系とみられる人と道ですれ違う時、その話し言葉が耳に妙に大きく響き、なじみのカフェのウェイターが新EU市民で自分の英語の注文が通じにくいことで感じる焦燥感が表明されるようになった。「自分の国なのに…」という思いが英国民の間に募っていった。
 2007-08年、金融危機が世界を襲った。英政府は巨額を投入して主要銀行を救う代わりに、緊縮財政を実施。公務員の給与は凍結され、社会福祉は縮小された。生活が苦しくなると、新EU市民に対する不満感もより切実になった。

  自分たちのルールで決めたい

 無制限にやってくるEU移民の流れを止めたい、自分たちのルールで自分たちの国を仕切りたいという思いを受け止め、政治のうねりを作ったのが、EUからの脱退を主張してきた英国独立党だった。「EUから出るために、国民投票をするべき」というその訴えは非常に魅力的だった。「国民投票」には民主主義のイメージがあるからだ。
 「国民自らが決めるべき」という独立党の主張が次第に市民の支持を得られるようになり、EU懐疑派の保守党政治家も時の政権(保守党とリベラル系自由民主党の連立政権)に国民投票の実施を求め、中には独立党に移籍する政治家さえ出てきた。
 デービッド・キャメロン保守党党首(当時)は党内の煩しいEU懐疑派を「黙らせる」つもりで国民投票の実施を自ら宣言した。「もし保守党が次の選挙で単独勝利したら」の条件付きだった。しかし、2015年の総選挙で、キャメロン氏の予想を裏切り、保守党は単独勝利を獲得してしまった。既にあとには引けなくなり、16年の国民投票を決めざるを得なくなった。
 改めて、なぜEUへの離脱を英国民は選択したのかというと、一言でいえば、「自分で自分のことを決めたいと思ったから」。どれほど自分が気に入らない政策であっても、自分たちが選んだ政治家である国会議員に決めてほしい、という気持ちがあった(実際には、欧州議会議員は加盟国の市民による投票によって選ばれるのだが、自分が住む地域の欧州議員を知らない人がほとんどだ)。

  内側からの変革を捨てた英国

 国民投票のキャンペーン中、ジョンソン氏や英国独立党の党首(当時)ナイジェル・ファラージ氏は「英国を自分たちの手に取り戻そう」と繰り返した。2016年秋の米大統領選で後に首相となるドナルド・トランプ共和党候補が使った「米国第一」をほうふつとさせ、「大衆迎合主義(ポピュリズム)だ」、「排他的だ」、「内向き」と特にリベラル系知識層に大きく批判された。
 しかし、英国事情に限ると、離脱志向の増大には政治の失敗があったと筆者は思う。
 排他的な国民感情がなぜことさら強くなったのかを振り返ってみれば、英国が「欧州」と運命共同体であるという意識を培う努力がなされてこなかったし、04年に一気に新加盟国が増えたときに地域社会への衝撃を軽減するための施策がなかった。やるべきこと、できたかもしれないことはあったのに、政治家はこれをしなかった。
 また、国民投票の結果は僅差で離脱派が勝ったが、結果が出た後の政策実行に条件を付けておらず(例えば「有効票の3分の2を獲得した場合、政策を実行する」など)、国の将来を左右する大きな決断を「僅差でも得票数の多い方が勝ち」と設定したこと自体も失敗だった。どのような投票行為でもその議題についての純粋な支持・不支持の表明と同時に、時の政権に対する抗議として票を入れる人が少なからずいるのだから。
 とはいっても、現在のままのEUに英国がとどまっていた方がよかったのかというと、長期的には疑問も感じる。官僚体制の巨大化や強権政治を行うハンガリーやポーランドなどがEU主要国との間に引き起こす軋轢や不協和音が可視化されているからだ。
 それでも、加盟国であれば「中から変える」選択肢が英国にはあった。しかし、この道を英国は選択せずに、EUを去ってしまったのである。

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