LINE問題が映した中国リスクに思う
ジャーナリスト / 元上智大学教員 小此木 潔
無料通信アプリで有名なLINE(ライン、本社・東京)が個人情報へのアクセスを中国の委託先企業に認めていたことが明るみに出て、政府や自治体も一部でラインを使ったサービスの停止や変更に動くなど、大きな問題になった。個人情報の保護を徹底していなかったという、いわばありがちな問題がきわめて大きな記事になり、政府も巻き込んだ騒動へと一気に発展したのは、そこに米国と中国の対立が巨大な影を落としているからで、「中国リスク」がクローズアップされやすい国際環境となっている現状を映し出しているのではないだろうか。
これを読んで私は違和感を抱いた。「1面トップというのは、騒ぎすぎではないか」「中国脅威論を煽ることにならないか」というものだ。法令違反とか情報流出の深刻さが明確に報じられているわけでもない。個人情報漏洩の事実すら確認されているのかどうかもあいまいだ。それなのに、この紙面扱いは過大ではないか――
とはいえメディアは、つかんだ情報をすべて報道するわけではない。多くの事実を取材でつかんでいても、当事者などの反応を予測して小出しにする場合もある。ここではきっと、関係者から事態の深刻さを取材済みであり、その自信が裏付けとなっての1面トップなのだろう、と考えることにした。
また、中国政府がラインの委託先を含む民間企業から強引に情報を吸い上げる可能性は排除できない。とすれば、そうした環境下で個人情報にアクセスを認めるようなビジネスは「中国リスク」を抱えているし、そのリスクに対するユーザーの懸念や不安感は、国際情勢の動向を反映して実態よりも大きく増幅されてもおかしくはない。そういう判断からの1面トップなのだろう、と思った。
その後も米中対立の動きは加速した。18日からアラスカで開かれた米中外交トップ会談では、ブリンケン米国務長官が会談冒頭からウイグル族や香港、台湾などを挙げて「ルールに基づく秩序を脅かしている」と非難した。同長官は24日にはベルギーで「中国の強圧的行動が我々の集団的安全保障と繁栄を脅かしている」と演説。
26日には、バイデン大統領がホワイトハウスでの就任後初の記者会見の席で米中関係について「21世紀における民主主義国家と専制主義国家の有用性をめぐる闘い」であると表現。さらに「対決を望んでいないが、非常に厳しい競争になる」と2月に習近平・中国国家主席との電話会談で伝えたことも明らかにした。
トランプ政権下では米国の対決姿勢が鮮明で「新冷戦」や「米中経済切り離し」も懸念された。バイデン政権になってそれがどう変わるのかが注目されたが、中国の台頭を脅威と感じ、これを押しとどめようとする米国の基本姿勢はほとんど変わらないようだ。
中国は東アジアの地域包括的経済連携(RCEP)への参加や環太平洋経済連携協定(TPP)加入の意思まで表明しているのだから、米中対立を克服できればアジアを中心に米国も含む新たな世界経済発展の道も展望できよう。だがそのためには中国も米国も、政治対立を回避するよう努力しなくてはならない。両国が傲慢な大国主義に染まって身動きできないようにも見える以上、大国間の協調を働きかける役割を負うべきは、日本や韓国、東南アジア諸国連合(ASEAN)、オーストラリア、カナダ、インド、欧州連合(EU)といった国々ではないだろうか。
このままでは、中国脅威論は米国に近い国々でますます増幅されてゆくだろうし、少しでも「中国リスク」を減らそうとして生産拠点やさまざまのビジネス取引を中国から引き揚げる企業が増えて、アジア経済は分断されていくのではないか。ラインは出澤剛社長が記者会見して中国での事業委託を解消すると発表したが、それはずっとあとで振り返れば中国経済と日本経済の分断を加速する一コマだったということにもなりかねない。
ライン社長会見(3月24日朝のテレ朝画面から)
21世紀は中国とインドの経済大国化を軸にアジアの世紀になると言われたが、豊かで平和な未来への道は閉ざされてゆくのだろうか。そうはならないように、各国の人々に知恵と努力を期待したくなる。
もちろんめざすべきは米中の協調であるし、それと連動すべき中国の民主化である。長い時間をかけてでも、世界の平和と繁栄のためにそれらは不可欠であるし、メディア・ジャーナリズムはそうした方向への動きを喚起してほしいものである。
中国リスクを報道することは、米中対立という増幅要因も含めて現状の危うさに対する警鐘として意義があると思う。だがリスクにばかり焦点が当たると、メディア・ジャーナリズムも国民も対立の奔流に押し流され、トゥキディデスの罠にはまり込んでしまう危険がありはしないか。そこのところをジャーナリストの皆さんに考えていただきたいと思う。
朝日新聞1面トップの意味は
朝日新聞が「LINE個人情報保護 不備」「中国委託先で閲覧可に」「運用見直し 第三者委設置へ」と見出しを立てて朝刊1面トップ記事を掲載したのは3月17日のことだった。ラインが、中国にある関連会社にシステム開発などを委託していて、そこで働く中国人技術者ら4人が日本の利用者の個人情報にアクセスできる状態になっていたことがわかった、というスクープ。利用者向けのプライバシーポリシー(個人情報に関する指針)でそうした状況を十分には説明できていなかったため、ライン本社は政府の個人情報保護委員会に報告するとともに第三者委員会による調査と運用の見直しに動いた、とする内容だ。これを読んで私は違和感を抱いた。「1面トップというのは、騒ぎすぎではないか」「中国脅威論を煽ることにならないか」というものだ。法令違反とか情報流出の深刻さが明確に報じられているわけでもない。個人情報漏洩の事実すら確認されているのかどうかもあいまいだ。それなのに、この紙面扱いは過大ではないか――
とはいえメディアは、つかんだ情報をすべて報道するわけではない。多くの事実を取材でつかんでいても、当事者などの反応を予測して小出しにする場合もある。ここではきっと、関係者から事態の深刻さを取材済みであり、その自信が裏付けとなっての1面トップなのだろう、と考えることにした。
また、中国政府がラインの委託先を含む民間企業から強引に情報を吸い上げる可能性は排除できない。とすれば、そうした環境下で個人情報にアクセスを認めるようなビジネスは「中国リスク」を抱えているし、そのリスクに対するユーザーの懸念や不安感は、国際情勢の動向を反映して実態よりも大きく増幅されてもおかしくはない。そういう判断からの1面トップなのだろう、と思った。
バイデン政権も中国と対立の道
17日の1面準トップも読んだところ、中国リスクが増幅される環境にあるという私の見方はさらに強まった。この記事は、日米の外務・防衛担当閣僚会合(2プラス2)を東京で開き、軍事的にも経済的にも台頭する中国を強く牽制する共同声明を出したとのニュースだ。大統領がトランプからバイデンに代わっても、米国政府は中国を脅威として認識していることが鮮明になった。これに先立つ12日には日米豪印の4か国の首脳会合がオンラインで開かれ、インド太平洋地域で影響力を増す中国を意識しつつ連携を強めた。こうした米中対立の新たな展開という覇権争いの構図の中にライン問題を位置付けてみると、重要性がぐっと高まるという判断が新聞社側にあったのかもしれない、と私は思った。その後も米中対立の動きは加速した。18日からアラスカで開かれた米中外交トップ会談では、ブリンケン米国務長官が会談冒頭からウイグル族や香港、台湾などを挙げて「ルールに基づく秩序を脅かしている」と非難した。同長官は24日にはベルギーで「中国の強圧的行動が我々の集団的安全保障と繁栄を脅かしている」と演説。
26日には、バイデン大統領がホワイトハウスでの就任後初の記者会見の席で米中関係について「21世紀における民主主義国家と専制主義国家の有用性をめぐる闘い」であると表現。さらに「対決を望んでいないが、非常に厳しい競争になる」と2月に習近平・中国国家主席との電話会談で伝えたことも明らかにした。
トランプ政権下では米国の対決姿勢が鮮明で「新冷戦」や「米中経済切り離し」も懸念された。バイデン政権になってそれがどう変わるのかが注目されたが、中国の台頭を脅威と感じ、これを押しとどめようとする米国の基本姿勢はほとんど変わらないようだ。
政治もメディアもトゥキディデスの罠にはまるのか
ハーバード大学のグレアム・アリソン教授が『米中戦争前夜―新旧大国を衝突させる歴史の法則と回避のシナリオ』という物騒なタイトルの本を出版したのは2017年だった。スパルタがアテネの台頭に脅威を感じたことからペロポネソス戦争が起きたと歴史家トゥキディデスが記したことを例に、新旧覇権国家の争いは戦争になりがちな傾向があるから、その罠に陥らない知恵が問われると警鐘を鳴らした書である。習近平氏もかつて周辺に「トゥキディデスの罠に陥らないようにしなくては」と語ったといわれるが、独裁で冷静な政治判断ができる環境を失ってしまったのか、最近の香港弾圧や、台湾に対する中国の圧力などを見ると、なんだか自ら罠にはまっていきそうな危うさを感じてしまう。米国もまた、対決をほのめかし、危うい印象をぬぐえない。中国は東アジアの地域包括的経済連携(RCEP)への参加や環太平洋経済連携協定(TPP)加入の意思まで表明しているのだから、米中対立を克服できればアジアを中心に米国も含む新たな世界経済発展の道も展望できよう。だがそのためには中国も米国も、政治対立を回避するよう努力しなくてはならない。両国が傲慢な大国主義に染まって身動きできないようにも見える以上、大国間の協調を働きかける役割を負うべきは、日本や韓国、東南アジア諸国連合(ASEAN)、オーストラリア、カナダ、インド、欧州連合(EU)といった国々ではないだろうか。
このままでは、中国脅威論は米国に近い国々でますます増幅されてゆくだろうし、少しでも「中国リスク」を減らそうとして生産拠点やさまざまのビジネス取引を中国から引き揚げる企業が増えて、アジア経済は分断されていくのではないか。ラインは出澤剛社長が記者会見して中国での事業委託を解消すると発表したが、それはずっとあとで振り返れば中国経済と日本経済の分断を加速する一コマだったということにもなりかねない。
ライン社長会見(3月24日朝のテレ朝画面から)
21世紀は中国とインドの経済大国化を軸にアジアの世紀になると言われたが、豊かで平和な未来への道は閉ざされてゆくのだろうか。そうはならないように、各国の人々に知恵と努力を期待したくなる。
もちろんめざすべきは米中の協調であるし、それと連動すべき中国の民主化である。長い時間をかけてでも、世界の平和と繁栄のためにそれらは不可欠であるし、メディア・ジャーナリズムはそうした方向への動きを喚起してほしいものである。
中国リスクを報道することは、米中対立という増幅要因も含めて現状の危うさに対する警鐘として意義があると思う。だがリスクにばかり焦点が当たると、メディア・ジャーナリズムも国民も対立の奔流に押し流され、トゥキディデスの罠にはまり込んでしまう危険がありはしないか。そこのところをジャーナリストの皆さんに考えていただきたいと思う。